原著作者「怖い話投稿:ホラーテラー」「匿名さん」 2012/05/28 01:12

私の胸中とはまるで裏腹に、葬儀はしめやかに進められた。
えらく長く、それでいてほとんど何を言っているか分からない祝詞などを聞いているうちに、
次男の言葉に混乱していた私も、次第に落ち着きを取り戻していった。
一度、冷静になって考えてみる。
くらげの母親は、彼が生まれた直後に亡くなったと聞いている。
そうだとすれば、本当に彼が母親を殺したのなら、首も座らない赤ん坊が殺人を犯したことになる。そんなことはありえない。
けれども、彼が全くの嘘をついたようにも思えなかった。
だとすれば、おそらく彼女は、出産が原因で亡くなったのではないか。
昔よりは医療が充実した現代だが、ありえない話ではない。
もしもそれが原因だとしたら、彼女の死が、引き換えに生まれてきた赤ん坊のせいにされることだってあるだろう。
私の理性はそう結論付けた。これ以上の答えは、その時の私には考え付かなかった。
それでも、何か腑に落ちない、もやもやとした塊が腹の中に残った。
私の中の誰かが、「違うんじゃないか」と言っている。私はその声を無理やり胸の奥の奥へと押し込んだ。
するとその代わりに、また、あのおちゃらけた次男への怒りが湧き起って、それを鎮めるのにも一苦労がいった。

葬儀の方はすでに、祝詞から玉串奉奠へと移っていた。
仏式では焼香にあたる儀で、席順に遺族、親戚、一般という順に榊の枝葉を受け取り霊前に置いていくようだ。
当時の私は神葬祭の経験自体少なかったので、奉奠のやり方が分からず、目を凝らして前の人の動作を観察した。
二礼二拍一礼は分かるのだが、その前の榊の置き方だ。
何やら回転させているように見えたが、距離があるのと、背中で隠れてしまうため、良くわからない。
私の番が来るまでに、ちゃんと見て覚えておかなければならない。
そう思い、玉串を納めている人の背中を凝視していると、ふと私の目に別の何かが映った。
棺の上に、小さな光る何かが浮かんでいる。
それは蛍の光のような、小さな、淡く青い光の粒だった。しかも、一つではなく複数だった。
何だろう。焦点を合わそうとしても、いかんせん祭壇まで遠く、それが何であるかわからなかった。
祭壇には提灯があるが、それは少なくとも提灯の光ではなかった。風に遊ばれる風船のように揺れて、浮き沈んでいる。
一体、あれはなんだろう。
ふと気が付くと、ほとんどの人が奉奠を終え、次が自分の番だった。
まだ完全に動作を覚えたわけではないが、今になって誰かに助けを求めるわけにもいかない。
仕方なく、ぶっつけ本番で臨むことになった。
祭壇に近づくにつれて、棺の上にある淡い光がより鮮明になる。
斎主の前に進み出た時には、それが何であるかはっきりと見て取れた。
それは小さな、ゴルフボールくらいの大きさの、数匹のくらげだった。
その表面にちりちりと光の筋を浮かび上がらせ、空中にふわふわと漂っている。
どうやら、ゆっくりと天井に向かっているらしい。
そのうち、一匹の新たなくらげが、棺の中から顔を出した。
このくらげたちは棺の中から現れているのか。
あまりの光景に、私はしばらくの間、我を忘れていた。
自分の前に榊が差し出されているのに気づき、慌てて受け取る。
霊前に進むと、一匹一匹のくらげたちの表情がより深く見て取れた。
薄暗い部屋の中、それはとても幻想的であり、たっぷり非現実的でもあり、見惚れるには十分な光景だった。
これは何だろうという疑問さえ、綺麗に消え去っていた。
ふと、くらげたちの動きが変化したのに気が付いた。
天井へ向かっていたくらげの群れがその動きを止め、再び棺の中へゆっくりと落下していく。
そうして、最後のくらげが棺の中へと消えていった次の瞬間、玉串を持った私の手を、誰かの手がふわりと包み込んだ。
その手は目には見えなかった。しかし確かに、棺のある方向から私の両手を優しく握っていた。
そうして、私の手を玉串諸共ゆっくりと時計回りに回転させた。葉をこちら側に、玉串の茎が棺に向くように。
目には見えない。けれども、握られたから分かった。
その手は、小さく、しわだらけで、ごつごつしていた。そして、私はその手が誰の手かを知っていた。
『彼女』は奉奠の動作がわからない私に教えてくれたのだ。
不意に涙がこぼれた。それは感情の動きよりも先に、フライングして出てきたような涙だった。
玉串を置いてもしばらくの間、その手は私の両手を握ったままだった。
このままでは涙も拭けない、そう思った時、ふっと手を包んでいた感触が消えた。
制服の袖で、ぐい、と涙をぬぐい、棺に向かって、二礼、二拍手、一礼する。
ありがとうございます。
そう一言呟き、私は霊前を後にした。
目がにじんでいたせいか、棺の中から浮かび上がるくらげたちは二度と見えなかった。
席に戻る際に、親族の席に座っていたくらげと目があった。
涙の跡を見られないようにと目をそらすと、向けた視線の先に次男が居た。
さすがに真面目な顔をしていたが、どこか面白そうに私を見ていた。
その横には長男も座っていたのだが、彼は軽く目を瞑り彫像のように動かない。
三人が三人とも似ていない兄弟だった。

一般客の後、最後に斎主が自ら玉串を霊前に置き、玉串奉奠の儀は終わった。
その後、斎主が退出し、喪主であるくらげの父親の短い挨拶があって、葬儀は閉会となり、
出棺の準備のため、親族以外は別の部屋に待機することになった。
しばらく待っていると、大広間から、どん、どん、と釘を打つ音がした。
次いで家の中から棺が運び出され、門の外で待っていた霊柩車に乗せられた。
外は相変わらず水をたっぷり吸った重たい雪が降っていた。空は灰色。
遠くの山を白くかすみ、その中を黒い服に身を包んだ人々が動いている。
まるで、出来の悪いモノクロ映画のような光景だ。
火葬は近しい親族だけで行うらしく、私のような一般客やその他の人は、彼らが戻るまで家で待つことになった。
大広間に、茶や菓子が用意されているとのことだったが、私は家には入らず、彼らの帰りを外で待つことにした。
理由は特にない。強いて言うなら、出所の分からない意地だった。
外は寒い。何度か中に入るようにと言われたが、首を横に振り続けていると、彼らも何も言わなくなった。
家に入り、事情を知ってそうな人から、くらげの母の話を聞く。そういう考えも無くはなかった。
けれども何故か私には、もしも誰かに訊くとすれば、この話はくらげ自身の口から聞くべきだ、という想いがあった。

雪がひどくなって、私は屋根のある門の下へと避難した。上着も持ってきていなかったため、手も足もひどく悴んだ。
自分でも何をやっているのだろうと思ったが、それでも家に入る気は起きなかった。
火葬場で焼かれている祖母の遺体のことを思う。雪風に打たれている私とは真逆の状況だ。
といっても、敢えて変わってほしいとも思わなかったが。
ひとしきり馬鹿なことを考えていると、年配の女性が家の中からお菓子と防寒具を持ってきてくれた。
紋所の付いた赤いちゃんちゃんこ。亡くなった祖母のものだという。袖はなかったが、それはとても暖かかった。

火葬場から彼らが戻ってきたのは、二時間も経った後だった。
祖母のちゃんちゃんこを着、門で待っていた私を、親族たちのほとんどは奇怪な目で見やった。
次男は可笑しそうに笑い、長男と父親は何も言わず、くらげは真顔で「本当に、おばあちゃんかと思った」と言った。
その後は大広間での食事会だったが、大人たちのつまらない昔話に耳を傾けるつもりはなく。
私はくらげを誘って抜け出し、二階の彼の部屋へと上がった。
適当なところに座布団を敷いて座る。二人ともしばらくの間、口を開かずにいた。
色々な考えや出来事が私の中のあちこちで渦を巻いていて、それらは容易に言葉にならなかった。
「……今日は、ごめんね」
先にそう言ったのは、くらげだった。
彼は私に向かって『ごめん』と言った。しかし、こちらには謝られるような覚えはない。
怪訝そうに彼を見やると、彼は私とは目を合わさず、「何だか、気分を悪くさせたみたいだから……」と言った。
なるほど。くらげは彼の兄であるあの男のことを言っているのだ。
確かに嫌な気分にはなった。けれども、それは決して彼が謝るべきことではない。
話題を変えようと、私は無理やり口を開く。
「そう言えばさ……、棺の上に、小さいくらげが浮いてたよな」
すると、彼が不思議そうに私を見た。
「……くらげ?」
彼には見えていなかったらしい。
私は驚く。私に見えたのだから、当然、それは彼にも見えたのだと思っていた。
私は元々霊感など持っていない人間だ。それが、くらげと一緒にいるときだけ、僅かだが彼と同じものが見えるようになる。
今まではずっとそうだった。
「え、じゃあ、あの手も?」
くらげは首を横に振った。私は彼に、玉串奉奠の際に体験したことを一通り話した。
「そう……、おばあちゃんらしいね……」
そう小さく呟いた彼の口元は、かすかに微笑んでいた。
窓の外に目を移すと、ぼた雪はいつの間にか雨に変わっていた。
こんな雨の日、くらげの祖母には、空に向かって登る無数の光るくらげたちが見えたそうだ。
「なあ、くらげさ」
くらげの方に顔を向けると、彼は小さく頷き、「うん」と言った。
「ただの想像だけどさ。もしかして……。あのくらげって、生き物の死体から湧くんじゃないか」
棺の上を漂い、青白く光るくらげたち。あの時、私は一瞬だけだが、魂という言葉を連想した。
死体から湧き出る、くらげ。もし、魂というものが存在するのなら、あの光るくらげは、それに近いものなのではないか。
以前、どこかで聞いたことがある。雨は、そのたった一度で、驚くほど多くの生き物の命を奪うと。
生を失うのは、大抵は小さな生き物だ。その一つ一つの魂が発光する小さなくらげとなり、空へ向かって昇っていく。
祖母はその光景を見ていたのではないだろうか。
そんな与太話を、くらげは黙って聞いてくれていた。
私がしゃべり終えると、彼は肯定も否定もせず、窓の向こうの雨を見つめながら、「そうかもしれないね」とだけ言った。
またしばらく沈黙が続いた。
「おばあさんさ……。死ぬ前に、くらげに何か言った?」
ふと、気になっていたことを尋ねる。
死に目にはあえたと聞いていた。人が人に伝え残す最後の言葉。祖母は彼に何が言い残したのだろうか。
「……『強う気持ちを持っておらなぁいかんよ』」
くらげは、ゆっくりとその言葉を口にした。
「そう言った。……自分はもうじき居なくなるから、って」
私は改めてくらげを見やった。その言葉はもしかしたら、そのまま祖母の人生を表していたのかもしれない。
くらげに祖母が居たように、彼女には誰か味方がいたのだろうか。
私は、玉串を納め終えた後もしばらく離してくれなかった、あの小さな手の感触を思い出した。
あの手は、私に何か伝えようとしていたのではないか。
祖母が死んで、くらげは一度も泣かなかった。次男は私にそう言った。
死者が見えるのだから、悲しむ必要もないのだろう。その言葉の裏にはそんな響きがあった。
私はあの野郎が嫌いだ。
悲しくないはずがない。私は二人がどれだけ仲が良かったかを知っている。
いくらそれらが見えたからといって、死んだ者が生きている者と同じようにふるまえるわけがない。
私はそれをこの家で学んだ。死んだ祖父のために出された料理は、決して減ることは無かった。
例え骨になるまで焼かれても、例え雪の降る中突っ立っていても、死んだ者は熱さも寒さも感じることは無い。
いや、例え感じていたとしても、私たちにそれを知るすべはない。
悲しくないわけがない。
私は自分の肩に手をやった。柔らかな綿の感触。まだ、祖母の赤いちゃんちゃんこを着たままだった。
このまま着て帰りたい気持ちもあったが、いったん脱いで、彼の前に差し出した。
「これ、返す」
彼はそのちゃんちゃんこをじっと見つめ、それから「……うん」と言って手に取った。
「……それ着てみろよ。すんげぇあったかいから」
彼は無言でちゃんちゃんこを羽織った。意外と似合っている。
「な」と私が言うと、彼はまた「……うん」と呟き、そのまま抱えた両膝に顔をうずめた。
そうして彼は、まるで眠ってしまったかの様に動かなくなった。
本当は、彼の母親のことを訊こうかとも思っていた。一歩間違えればそうしていた。
私は彼を問い詰め、そして彼はきっと正直に答えてくれただろう。
私は寸前で、これ以上彼を追い詰めずに済んだのかもしれない。
きっと彼だって、張り詰めた糸のような均衡で保たれていたに違いないのだ。
訊くべき時。それは決して『今』ではなかった。
その名を呼ぼうとして私は口をつぐんだ。
膝に顔をうずめ動かない彼に、それ以上かけてやるべき何かを私は持ってはいなかった。
あったとしても彼には届かなかっただろう。当時の私たちは、まだほんの子供だった。
だからせめて、私は彼が顔を上げるまで、そこで待つことにした。

寝転がると、一階の大広間の話し声が微かに聞こえた。大きな家だから、なかなか声も届かないのだろう。
耳を澄ますと、すぐ窓の向こうに降る雨音の方がよく聞こえた。
例え彼が母親を殺していたとしても。たった一つ、これだけは言える。
彼はいいヤツだ。
寝転び、窓を見上げたまま、私は目を閉じた。
暗闇の中では、幾千幾万というくらげが色とりどりに薄く淡く発光しながら、
どこへ続くかもわからない空へと吸い込まれていった。