ほんとうにあった怖い話

怖い話をまとめて紹介するブログ[心霊写真][怖い話][全国心霊スポット][呪いの動画]等の情報。あなたはこのパンドラの箱を開けますか? ※あなたが体験した怖い話も募集しております。

    怖い話をまとめて紹介するブログ[心霊写真][怖い話][全国心霊スポット][呪いの動画]等の情報。あなたはこのパンドラの箱を開けますか? ※あなたが体験した怖い話も募集しております。

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    原著作者「怖い話投稿:ホラーテラー」「なつのさん」 2011/04/07 06:20

    大学もバイトも、何もイベントのない日。昼寝から起きると、時刻は午後五時になろうとしていた。
    携帯を見ると、一通のメールが届いている。知り合いからだ。
    その人とは、大学一年の時にボランティアを通じて知り合った。メールもボランティアメンバー全員に宛てたものだった。
    メールの内容は、『○○公園のソメイヨシノが開花したよ』 というちょっとしたお知らせ。
    大きく拡大した桜の花びらの写真も添えてある。
    四月四日のことだった。
    僕の家の近くには、桜の名所として全国的にもそれなりに有名な公園がある。
    標高二百メートルくらいの小さな山の山頂にある公園で、
    山には桜並木の他に、広いグラウンド、美術館、寺、展望台、また山頂に繋がるロープウェイもあり、
    地元の人はそれら全てをひっくるめて○○公園と呼んでいた。
    休日となると観光客も訪れ、春には花見客が地面に敷くブルーシートで公園中が青くなる。そんなにぎやかな場所だった。
    夕食の食材を買いに行くついでに桜を見に行こう。そう思い立った僕は、簡単に身支度を済ませて原付に跨った。

    山に沿って建てられた住宅街からカーブの多い山道を上り、○○公園へ。
    いつもは子供たちが野球の練習をしている公園敷地内のグラウンドの端に、原付を停めた。
    風はなく、上着は必要なさそうだ。
    僕は公園全体をぐるりと一周するつもりで歩きだした。散歩コースとしても、この公園は中々良い。
    事実、平日の夕方にも関わらず、何人か犬を連れて散歩する人や、ジョギングをしている人とすれ違った。
    道の脇に植えられた桜は、見たところ二分咲きほど。開花したと言ってもまだ蕾の方が多い。
    それでも、人はいないが屋台のテントを三つほど見かけたり、
    大学生らしき若者たちが数人、ベンチのある広場に集まってお酒を飲みながら騒いでいたりと、
    花見シーズンがもうそこまで来ているのだと感じさせる。
    僕はだらだらと歩き、立ち止まっては桜を見上げ、また歩く。
    桜並木から少し離れ、右手にグラウンドが見える坂を下る。

    左手に、今はもう誰も住んでいないだろう廃屋の横を通り過ぎた時だった。
    廃屋の向こう側に道がある。立て札があり、『○○墓地入口』 と書かれている。
    この辺りに墓地があることは知っていた。けれど、その墓地へと続く道の脇にはもう一つ道があった。
    おや、と思う。知らない道だ。
    ちょっと覗いてみる。林の中へ分け入る道。
    舗装はされておらず、折れた木の枝などが所々に落ちていて、頻繁に人が使っているわけではなさそうだ。
    人とすれ違うのにも骨が要りそうなほど細い道が蛇行しながら、こちらから見れば下向きに伸びている。
    どこに繋がっているのかは分からなかった。
    どうせ暇だから来たんだしと思い、僕はその道を下りてみることにした。
    知らない道を行くのは、何だか冒険をしているようでワクワクする。

    顔面に蜘蛛の巣の特攻を受けながら少し進むと、木々の隙間、眼下に、僕が原付で上って来た側の住宅地が見えた。
    帰りがけに寄ろうと思っていたデパートの看板も見える。
    あの辺りに出るのかと思いながら、もう少し歩を進める。
    すると、前方に分かれ道があった。下っている右の道と、若干上りになっている左の道。
    どちらかと言えば右の方がちゃんとした道に見えたので、僕は右の下りる道を選んだ。
    思った通り、その道はデパート近くの住宅地に出た。
    傍らにはお坊さんを彫ってある大きな岩があって、
    その横の朽ちかけた立て札は、『思索の道。この先○○寺』 と辛うじて読める。

    来た道を逆に、分かれ道まで戻る。
    さて、どうしようか。結局、僕は来た道は選ばず、まだ行ってない方の道へと進むことにした。
    小さな山だ。きっとどこか知った道に合流するだろうと、そう思っていた。
    この時、僕はまだ好奇心に支配されていた。

    それから少し歩くと、道のすぐ傍らに一匹の痩せた犬が横たわっていた。
    歩を止める。
    ぴくりとも動かない。しばらく見やって、死んでいるのだと知った。
    小バエが数匹、辺りを飛び回っていた。毛並みは茶色。
    腐敗はそこまで進んでいないようだったが、耳の根元が黒ずんでおり、眼球がなくなっていているのが分かった。
    そこからハエが体内に出たり入ったりしている。
    どうしてこんなところで死んでいるのだろう。
    野良犬自体なら、この公園近辺には多くいる。観光客がくれる餌を求めてやって来ているのだ。
    けれど、目の前で横たわる犬は首輪をしているように見えた。
    そのまま犬の傍を通り過ぎ前へと進むか、そうでなければこのまま引き返して来た道を戻るか。
    僕は選ばなければならなかった。
    少しばかり迷う。
    そうしてから、僕はゆっくりと足を前に踏み出した。
    正直、死骸は怖かった。いや、怖いというよりは、ただの毛嫌いだったのかもしれない。
    ドラマなどで見る安っぽい死ではなく、目の前の犬の肉体は限りなくリアルだった。
    そうして、だからこそ、気持ち悪いから逃げ帰るなんて失礼だと思った。
    死骸の様子を間近で見る。途端に一つ心臓が跳ねた。
    首輪だと思っていたものは傷口だった。
    喉元がばっくり開いていて、そこから染み出した血が黒く固まり、首輪のように見えたのだ。
    犬同士の喧嘩の末にこうなったのだろうか。
    しかし、傷口は噛み痕には見えず、何か刃物で切られたようにまっすぐ喉を裂いていた。
    注視したせいか吐き気を覚える。やっぱり引き返した方が良かっただろうか。
    白い歯が覗く半開きの口は、僕に何かを訴えているようにも見え、
    頭が勝手に、目の前の死骸がいきなり喋り出す様を想像した。
    ただの穴となった眼窩から蠅が飛び出して、僕の胸にとまる。不安と一緒に払いのけて、犬に向かって手を合わせた。
    そうして僕は犬の死骸を背に、その先へと進んだ。
    先程も書いたが、僕はこの道は、
    どこか住宅地から寺や公園へ上がるいくつかの道のどれかに合流するんだと、勝手に思いこんでいた。

    犬の死骸のあった場所からもう少し進むと、足元に道は無くなり、閑散と木の生えた場所に出た。
    見たところ、行き止まりのようだった。
    目の前の木の枝に、キャップ帽とトレーナーが一着引っかかっていた。二つとも色が落ちくすんでいる。
    その木の根元には、蓋の取っ手が取れたやかんがあった。
    やかんの向こうには、トタン板と木材が妙な具合に重なり合って置かれていて、
    傍にコンクリートブロックで出来た竈のようなものがある。火を起こした跡もあった。
    その他にも、辺りには金色の鍋や、茶色い水の溜まったペットボトル、ボロボロの布切れ、重ねて置いてある食器類、
    何故か鳥籠もあった。中には鳥ではなく、白い棒きれのようなものが何本か入っていた。
    一瞬それが骨に見えて、ギョッとする。でも鳥の骨にしては大きい。だったら骨じゃない。
    けれどもじゃあ何なのかと問われると、僕には答えられなかった。
    いずれにせよ、それらは確かにこの場所で人が暮らしていたという痕跡だった。
    崩れたトタン板や木材は家の名残だろうか。
    そこにある品々の古さや具合から、今もここに人が寝泊まりしているとは考えにくかったが、
    林の中で忽然と漂ってきた生活臭は、あまり気持ちの良いものではなかった。
    すでに冒険心は小さくしぼんで、代わりに不安という風船が大きく膨らんできていた。
    ホームレスだろうか。
    つい先程見た犬の死骸を思い出す。関連があるとは思いたくないが。
    いずれにせよ、こんなところでこんなところの住人と対面するのは極力遠慮したかった。
    ただそうは言っても、来た道を引き返し、またあの犬の死骸の脇を通るというのも気が進まない。
    辺りは徐々に暗くなり始めていた。時刻は午後の六時を過ぎている。
    他に道はないかと、僕は周囲を見回した。
    すると、行き止まりかと思っていた箇所に、辛うじてそれと分かる上へと続く道があった。
    戻るか進むか天秤にかける。僕は迷っていた。
    この道が本当にどこか知っている道に合流している、という自信は霞みかけていたし、
    犬の死骸を踏み越えても元来た道を戻るのが正解に思えた。
    その時だった。
    気配を感じる。微かに枝を踏む音。僕がやって来た方の道から聞こえた。誰かがこちらへやって来る。
    新たな重りが加わり天秤が傾く。僕は咄嗟に新しく見つけた道へと進んでいた。
    僕のような好奇心でやって来た者か。もしくはここに住むホームレスか。どっちにせよ、遭遇はしたくない。

    急な道だった。
    道の途中にはもう数ヶ所、人の寝床と思しき箇所があった。
    それは大きく突き出た岩の下に造ってあったり、小型車程の大きさの廃材を使ったあばら家だったり、
    ある程度密集したそれらは、まるで集落のように見えた。
    上って行くにつれて道は霧散し、もうケモノ道とも呼べないただの斜面になっていた。
    それでもしばらく上ると、たたみ二畳ほどの広さで地面が水平になっている場所に出た。
    そこにも人の生活の気配がうかがえた。
    灰の詰まった一斗缶。黒い液体が溜まった鍋。木の根もとに並べられたビールの缶。枝に吊るされたビニール傘。
    先の欠けた包丁。そして小さなテント。
    僕は足を止めてそのテントを見やった。異様だったからだ。
    三脚のように木材を三本縦に組み合わせて縛り、その周りをブルーシートで覆っている。
    高さは僕のみぞおち辺りで、人が入れる大きさではなかった。
    一体、何のためのテントなのか。テントの周りにはハエが飛んでいた。
    虫の羽音。
    そして、羽音とはまた別の音が聞こえる。
    タ。
    タ。
    タ。
    それは、閉め忘れた蛇口から落ちた水滴が、シンクを叩く音に似ていた。
    地面と僅かにできた数センチの隙間。覗くと、銀色をした何かがテントの中に置かれていた。
    鍋のようだった。おそらく鍋は受け皿で、あの中に水滴が落ちている。
    ハエが飛ぶ。僕の心臓がやけに早く動く。
    異臭。
    僅かに風向きが変わったのか。
    生臭い匂いだった。以前にも嗅いだ事がある。確か小さな頃、目の前で交通事故が起こった時だ。
    匂いの質は同じだけれど、あの時よりももっと酷い匂い。
    鼓動が骨を伝わり、足が震えだした。
    どこか遠くで犬の鳴き声がした。公園に住みつく野良犬だろうか。首を切られ、横たわって死んでいた犬を思い出す。
    現在、テントの外に置いてある鍋の中には、なみなみと黒い液体。赤黒い液体。いや違う。血だ。血の匂い。
    タ。
    タ。
    タ。
    水滴がシンクを叩く音。
    僕は混乱していた。
    はやくこの場から去りたいのに、足が動かなかった。
    それどころか、足が勝手に動き、自分の腕が青いテントに向かって伸びていた。
    めくろうとしているのだ。中を見ようとしているのだ。
    やめろ。
    声は出ず、心の内で叫ぶも、僕は止まらなかった。
    そうして僕は、ブルーシートをめくった。
    臭気が這い出て来る。何匹かのハエが、僕の行動に驚いてかテントの傍を離れた。
    息を飲んだ。
    中には一匹の犬が逆さに吊られていた。喉元が裂かれていて、傷口から血が鍋の中へ滴り落ちている。黒犬だ。
    舌が垂れ、見開いた目が地面を睨んでいた。
    タ。
    タ。
    タ。
    血が鍋の底を叩く音。
    僕の手が驚くほど緩慢な動きでゆっくりとシートを元に戻した。
    足も手も震えて、声にならない声が腹の奥から上がって来て、今にも叫びだしそうだった。懸命に自分を押さえる。
    息が荒くなっていた。上手く呼吸が出来ない。
    その場にしゃがみ、胸の辺りを掴み、目を瞑り、落ち着くまで待とうとした。
    「何しゆうぞ」
    人の声がした。
    振り向くと、そこに人間がいた。
    どうやら僕は自分のことに精いっぱいで、近づいて来る足音にも気付かなかったらしい。
    男だった。赤いニット帽を被っている。革のバッグを背負い、黒いジャンパー、履いているのは青いジャージだ。
    顔には無数のしわが刻まれていて、頬が少し垂れている。
    年齢は良く分からなかったが、六十代の半分は過ぎているだろうか。
    男は、ぐっと腰を曲げて、しわの延長線上のような細い瞼の奥にある光の無い目で、僕のことを見つめていた。
    僕は何も反応ができなかった。
    男はそれから青いテントに目を移した。
    「……ああ、ああ、見たんか。兄ちゃん。そうか」
    ぼそりぼそりとそう言って、それから低く笑った。
    「見えんようにと、被せたんにのう」
    その時の僕は、今しがた見てしまったモノに対するショックと、突然現れたこの人物に対する驚きで、
    身体も精神も固まっていた。
    どうやら人間は、許容量を遥かに超える負荷をかけられると、肝心な部分がどこかへ行ってしまうらしい。
    男はその手に犬を抱いていた。死んでいる。僕が先程見た眼球のない犬だ。
    僕は夢でも見ているようなぼんやりとした心持ちで、その光景を眺めていた。
    「ああ、こいつか?こいつぁ、おれの犬だな」
    男は僕の視線に気がついたのか、そう言った。
    「こいつぁな、野村のヤツが殺した。おれが留守にしとる間に。……そうにきまっとる。
     犬嫌いやけぇあいつは……、俺の犬や言うとろうが。俺が骨もやっとったし、紐もつけとる。やのに、野村のヤツが……」
    ぶつぶつと誰もいない茂みへ忌々しげに吐き捨てると、男はもう一度僕の目を覗きこみ、こう続けた。
    「兄ちゃん。勘違いしたらいかん。……こいつは食わんぞ?俺の犬やきの」
    男は歯がだいぶ欠けていた。
    僕の中の糸が切れた。いや、繋がったのかもしれない。
    僕は起き上がり、その場から逃げた。
    どう逃げたのかは覚えていない。ただやみくもに斜面を上ったような気がする。
    途中、転んだかもしれない。悲鳴を上げたかもしれない。何も覚えてない。

    気付けば、僕は見知った道の上に立っていた。道の向こうに原付を止めたグラウンドが見える。
    傍らに見覚えのある、墓場へ誘導する立て札。
    立て札の脇には、僕が好奇心をくすぐられて入ったあの細い道の入り口があった。
    いつの間にか僕は入口に戻ってきていたのだ。
    息が切れていた。近頃運動らしい運動もしていなかったからか、身体のあちこちが痛かった。
    見ると、気付かないうちに手の甲に怪我までしていた。
    しばらくの間、僕はその場に立ち尽くしていた。
    張りつめていた緊張感が爆発したツケか、頭の中で余熱が暴れ回っていた。
    これが冷めない限り、正常な思考は出来そうもない。
    目を瞑ると、先程見た様々な光景がフラッシュバックした。
    時間はどれくらい経っただろう。陽はもう西の山の向こうに沈んでいた。
    僕は歩きだした。

    グラウンドの傍にある自販機で350ミリリットルのお茶を買うと、一気に飲んだ。
    火照った身体と頭が、それで少し冷えた気がした。
    遠くの方で誰かが笑っている。
    この公園にやって来た当初にも見た若者たちが、未だ桜の要らない花見を続けているのだろう。
    腹の中の全てを絞り出すように大きく息を吐く。
    もう少し日にちが経てば、満開の桜の下、公園はたくさんの花見客でにぎわうことになる。
    それは毎年繰り返される当たり前の光景だ。
    けれども、そんなにぎやかな場所から林のカーテンを一つ隔てた先には、全く別の世界がある。
    僕は今日、それを知ってしまった。
    思う。
    あの男はホームレスだろう。
    そして、テントの中で吊るされていたあの犬は食料だ。最後に聞いた男の言葉がそれを物語っていた。
    頸動脈を切られ、吊るされて、血抜きをされていたのだ。
    犬を食べる。
    聞いたことはあった。タイや韓国などアジアを中心とした国では、市場の店先に普通に犬の肉が置かれていることもあると。
    捌き方や調理法さえ知っていれば、日本の犬だって食べれないことはないだろう。
    ましてや調達の手間を考えても、観光客から餌をもらうのに慣れた犬など捕獲し殺すのは簡単だ。
    野良犬ならば、動物愛護団体にでも見つからない限り、法的に罰せられることもない。
    別にあのホームレスが何かをしたわけではない。
    魚を釣って料理していたのと同じだ。生きるために他の動物を食べることを止める権利など、誰も持っていない。
    ふと、目の前を犬を連れた女の人が通り過ぎた。散歩が終わり、愛犬と自宅に戻るのだろう。
    首輪に繋がれた小さな犬が、僕に向かって一つ吠えた。血の匂いでも嗅ぎ取ったのか。
    犬だけを特別扱いする理由はない。その理屈は分かる。
    でもやはり、もやもやとした何かは残った。嫌悪感と言っても良い。僕でなくても大抵の人はそうだろう。
    僕の家では犬は飼ってはいなかったけれど、祖母の家が飼っていた。可愛い犬だった。
    あの男だってそうだ。男は『自分の犬は食わない』とそう言ったのだ。
    ペットとして飼っていたのだろうか。餌はどうしていたのだろう。
    鳥籠の中にあった骨を思い出した。自分が食べた後の犬の骨。そこまで考えて、止めた。
    人に飼われる犬。人に喰われる犬。犬を喰う人。犬を飼う人。
    遠いようで、それらを隔てる壁は案外薄いのかもしれない。
    少なくともこの場では、その隔たりは閑散とした林だけだった。
    それとも、二つは完全に分かれていて、僕が迷い込んだことがただの例外だったのだろうか。
    異界。
    そんな言葉が思い浮かんだ。大げさだと自分でも思う。
    僕は首を振って、重い腰を上げた。帰ろう。そう思った。
    これから何をしようという気はなかった。夕飯の買い物に行く気にもならなかった。
    公園に野良犬が多いと保健所に苦情を言う気も、ホームレスをどうにかしてくれと役所に頼む気も。
    声が聞こえる。もう暗いのに、若者たちはまだ騒ぎ足りないようだった。
    原付に跨り、エンジンをかける。
    それでも、今年はここでの花見には来れそうもない。
    走り出す直前に、ふと犬のなきごえが聞こえた気がした。
    けれどもエンジン音のせいで、それが本物かどうかは僕には分からなかった。

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    原著作者「怖い話投稿:ホラーテラー」「なつのさん」 2010/07/29 22:05

    僕が小学校低学年の頃の話だ。

    学校も終わり、僕は一人帰り道を歩いていた。
    そして、ふとした何気ない思い付きから、今日は別のルートで家まで帰ろうと決めた。
    いつもは使わない、人通りの少ない山沿いの道。
    家までは大分遠回りだけど、僕は随分楽しげに歩いていた記憶がある。
    昔はそういう無意味なことに楽しさを見い出す子供だったのだ。

    さて、そんないつもと違う帰り道。僕はふと、ある不思議なものを見つけた。
    車一台分の幅しかない道、進行方向に対して左は林で、右は小さな池だったのだけど、
    その右の池から、何やら白く細いものが空に向かって伸びていた。
    その時の僕が『空に向かって伸びている』と思ったのは、単純な話、空に何にもなかったからだ。
    木々の枝が伸びているわけじゃない。飛行機が、鳥が飛んでいるわけでもない。
    最初、僕は煙かなと思った。でも水のある池から煙というのもおかしい。
    別に水面に浮かぶ水草が燃えているわけでもないようだった。
    ガードレールに腕を乗せ、僕はその白い細い物体をじっと見つめた。
    それはどうやら、糸の様だった。白い糸だ。
    僕は白い糸を辿って空を見上げた。
    白い糸は上空に行けばいくほど、空に点在していた雲と同化して見えなくなる。
    天へと伸びる糸。
    当然、不思議だなあと思った。
    けれど、その時の僕には、でもそこにあって見えるんだから仕方ないだろう、という確固たる諦めがあった。
    見上げていると、上空で、チカ、と何か光った気がした。
    時間がたつにつれ、光ははっきり見えるようになった。
    糸を辿って空から光が降りてきていた。太陽の光を鏡で反射させた時の様な、目に刺さる光だった。
    光は点滅していて、目の上に手をかざしてよくよく見ると、その上に糸は無かった。
    僕は身を乗り出し、その光を良く見ようとした。
    ランドセルが重かったのが原因だと思う。僕はその瞬間バランスを崩して、頭から池に落ちた。
    でもそこで不思議なことが起こった。
    僕は頭から池に落ちた。でも、水面に顔が触れた瞬間、僕は『水の中から顔を出していた』。
    タイムラグは無い。記憶違いでもないと思う。
    惰性で僕はいったんお腹のあたりまで水面から飛び出すと、また重力で頭まで沈んだ。今度は普通に水の中だった。
    ここは当然、パニックに陥り溺れかけるべきなのだろうけれど、僕は割と冷静だった。
    池は背伸びすれば足がそこに届くくらいの深さだった。
    ランドセルが背になかったので、目をぬぐいながら手探りで見つけて、また背負った。
    不思議な体験だったなあ。と思いながら、僕は池から道路に上がった。
    最後にもう一度池を振り返ったけれど。糸はもう伸びてはいなかった。

    そしてその帰り道、僕は何故か帰り道を間違え、家に帰るのがだいぶん遅くなった。

    家に帰ると、母はびしょ濡れで帰ってきた息子に驚いた様子で、「あらまあ……、なんぞね、そら」と訊いてきた。
    僕は「つられた」とだけ答えた。
    その日からだった。僕が文字の読み書きが出来なくなったのは。
    先生も困り顔だったが、僕はあの時池に落ちたせいで頭が悪くなったのだと、勝手に思うことにした。
    文字の問題は、その後普通にできるようになった。

    その後、僕が池に落ちてから一週間くらい経ったある日のこと、あの池から子供の水死体が見つかった。
    不思議だったのは、その一週間の間、街の近辺で行方不明となった子供がいなかったこと。だから発見も遅れた。
    持ち物は持っておらず、何処の、誰の子供かも分からず。
    その身元不明の死体は、一時期話のタネになった。

    そして僕はと言うと、今でも健康診断の際は、聴診器を持った先生に「?」という顔をさせている。
    心臓の位置が少しだけおかしいのだそうだ。

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    原著作者「怖い話投稿:ホラーテラー」「なつのさん」 2011/04/02 20:55

    八月。開いた窓から吹きこんでくる風と共に、微かに蝉の鳴き声が聞こえる。時計は午後六時を回ったところ。
    陽はそろそろ沈む準備を始め、ラジオから流れて来る天気予報によれば、今夜も熱帯夜だそうだ。
    僕を含め三人を乗せた軽自動車は、川沿いに伸びる一車線の県道を、下流域から中流域に向かって走っていた。
    運転席にS、助手席に僕、後部座席にK。いつものメンバー。
    ただ、Kの膝の上にはキャンプ用テント一式が入った袋が乗っていて、
    車酔いの常習犯である彼は身体を横にすることも出来ず、先程から苦しそうに頭を若干左右に揺らしている。
    僕らは今日、河原でキャンプをしようという話になっていた。
    Kが持つテントの他にも、車のトランクの中には食料や寝袋、あとウィスキーを中心としたお酒等も入っている。
    夜の川へ蛍を見に行こう。
    言いだしっぺはKだった。何でも、彼は蛍のよく集まる場所を知っているらしい。
    意外に感じる。
    Kはオカルティストで、いつもならこれが『幽霊マンションに行こうぜ』 やら、『某自殺の名所に行こうぜ』となるのだけれど、
    今回はマトモな提案だったからだ。
    「蛍の光を見ながら酒でも飲もうぜ」とKは言った。
    反対する理由は無い。でもそれだと車を運転する人が、つまりSが一人だけ飲めないことになる。
    「お前だけジュースでも良いだろ?」と尋ねるKにSは、「お前が酒の代わりに川の水飲むならな」と返した。
    だったら、不公平のないよう河原で一泊しようという話になった。キャンプ用品はSが実家から調達してくれた。

    川の流れとは逆に上って行くにつれ川幅は徐々に狭くなり、
    角の取れた小さく丸い石よりも、ごつごつした大きな岩が目立つようになってきた。
    D字状に旧道と新道が別れているところに差しかかる。
    山沿いに大きくカーブを描いている旧道に対して、新道の橋はまっすぐショートカットしている。
    車は旧道の方へと入って行った。

    川を跨ぐ歩行者用の吊り橋のそばに車を停める。吊り橋の横には河原へと降りる道があった。
    僕とSの二人で手分けして荷物を河原まで下ろす。その荷物の中には、車酔いでダウンしたKという大荷物も含まれていた。
    川はさらさらと音を立てて流れている。川幅は十四,五メートルといったところだろうか。
    対岸はコンクリートの壁になっており、その上を県道が走っている。
    時間が経ち、陽の光が弱くなるにつれ、透き通っていたはずの緑は段々と墨を垂らしたように黒くなってゆく。
    蛍の姿はなかった。出て来るのは完全に暗くなってからだと、ようやく回復したらしいKが言う。
    「雲も出てるし、風邪もねえし、絶好の蛍日和じゃん」
    蛍は、自分達以外の光を嫌うものらしい。それがたとえ僅かな月明かりでも。
    「Kって蛍に詳しいん?」
    「蛍だけじゃねえよ。俺は昆虫博士だからな。なにせヤツらは、そもそもは地球外から降って来た宇宙生物って噂だし」
    ああなるほど、と僕は思う。

    そんなこんながあってから、三人でテントを張った。
    河原では地面にペグが打ちこめないため、テントを支えるロープを木や岩などに結び付ける。
    五~六人の家族用のテントなので、中は結構広い。
    そのうちKが、小型ガスボンベに調理用バーナーを取り付けて鍋を置き、湯を沸かし始めた。
    テントを張る時の手際を見た時も思ったけれど、Kは意外とアウトドア派なのだろうか。
    Sに尋ねてみると、「……おかげでガキの頃は色々連れ回された」と嘆いてから、「いや、今もだな」と付け加えた。
    それからKは、大きな石を移動させて大雑把な囲いを作ると、周りの木々を集めて組み立て、たき火を起こした。
    僕も手伝おうと薪を拾ってくると、「そりゃ生木だお前。煙が出るだけだぞ」と笑われた。

    夕食が完成した頃には陽はだいぶ落ちて、辺りはオレンジ一色だった。
    夕食は、ぶつ切りにしたキャベツやニンジンや玉ねぎやナルトや魚肉ソーセージを一緒くたに放りこんだ、
    ぞんざいなインスタントラーメン。
    でも見た目はアレでも味は中々で、鍋はすぐに空になった。
    ラーメンが無くなると、紙コップにウィスキーを注いで、三人で乾杯した。
    残ったキャベツやソーセージをつまみに。Sは何もなしで飲んでいた。
    たき火の火に誘われてか、小さな虫たちがテントの周りに集まって来ていた。
    蠅を一回りでかくしたような虫に、腕や足などを何箇所か噛まれて痒い。
    「テジロちゃんだな」とKが言った。
    何でも、捕まえてよく見ると、前足の先が白いんだそうだ。だから手白。
    「よっしゃ、捕まえてみるか?」
    「……蠅を見に来たわけじゃないでしょうが」
    「そりゃそうか」
    僕らは蛍を見に来たのだ。
    「まだ出てこないね」
    時刻は午後八時を回っていた。辺りはもう十分暗い。
    「そろそろだろーな」
    そう言うとKは立ち上がり、空の鍋に川の水を汲んできて、たき火の上にそれをかけた。
    火が消え、辺りは目に見えて暗くなる。雲が出ていて月明かりもない。
    辛うじて、テントの入口あたりに置いておいたガスランタンの小さな光だけが、視界を奪わないでくれていた。
    暗闇の中、僕らはしばらく何も喋らず、黙ってウィスキーを胃袋に放りこんでいた。

    「……そう言えば、お前らには話してなかったっけか」
    沈黙を破ったのはKだった。
    「この辺りじゃあな、数年に一度、丁度これくらいの時期に、蛍が大量発生するんだとよ」
    興味を引かれた僕は、「へえ」と相槌を打つ。
    「数年置きとかじゃなくて、本当にランダムなんだそうだ。研究者の間でも確かな原因は分かってない。
     ……でもな、この辺りじゃ、密かに噂されてる話があってな」
    Kの表情は分からない。輪郭は辛うじて分かるけれど、この明かりでは互いの表情までは見えなかった。
    「この川な。下流はそうでもないが、中流辺りだと突然深くなる場所とか、渦を巻いてる箇所とかあってだ。
     けっこう溺れて死ぬ奴がいるんだわ。近隣の小学生とか特にな。
     もちろん、そういう場所は遊泳禁止には指定はされてるんだが、……ま、子供の好奇心にゃ勝てんわな」
    僕はふと、自分のコップが空になっていることに気付いた。ウィスキーのビンを探したけど、見えない。
    「まあ、そうは言っても、数年に一人か二人だけどよ。
     でも、重なるらしいんだよな。水死者が出た年、蛍が大量発生する年。
     ……ああ、わりいわりい。ウィスキー俺が持ってるわ」
    Kが僕の方にビンを差しだし、僕はKに紙コップを差しだす。
    タタ、と音がして、辛うじて白と分かるコップに、何色か分からない液体が注がれた。
    「……今年は、その、溺れた子がいるん?」
    一口飲んで、焼けるような喉の刺激が去ってから、僕は尋ねる。
    Kは「うはは」と笑って、「そんなこたぁ、俺はシラネー。ここには蛍を見に来ただけだからな」と言った。
    「んでだ。その話には、もう一つ不思議なことがあってな」
    Kが続ける。
    「日本で見かける蛍ってのはさ、ゲンジボタルかヘイケボタル、大体この二種類でな。
     ゲンジボタルの成虫が出るのは、五月から六月、遅くて七月上旬にかけてだから。
     そうすると、八月のこの時期に出るのは、ほぼ年がら年中見られるヘイケボタルってことになる」
    Kは本当に昆虫に詳しいらしい。
    こういう風に、なるほどと思える話をKから説明されることは珍しいので、何だか違和感を覚える。
    いつもならそういう解説はSの役目なのだけれど、彼はさっきからつまみも挟まず静かに飲んでいる。
    「でもヘイケボタルってのは、集団発生はしねーんだよ。
     年がら年中見れるってこたぁ、成虫になる時期が同時でないってことだ。
     逆に、皆そろって成虫になるのは、ゲンジボタルの方なんだけどよ。
     でも、ゲンジはこの時期にゃあ交尾終えて死んでるし」
    酔った頭でも何となく理解出来た。
    つまり、Kはこう言いたいのだ。
    「……つまり、大量発生するその光は、ホタルじゃないかもしれない、ってこと?」
    「おうおうおう!何だ、察しがいいじゃねーか。……
     ま、普通に異常発生したヘイケボタルっつう可能性の方が高ぇだろうけどよ」
    「蛍じゃなかったら、なんなのさ」
    「シラネーよ。見たことねえし。でもまあ強いていやぁ、そうだな。……鬼火とか、人魂とか、怪火の類?」
    「……今年も見れると思ってるんじゃない?」
    「シラネーシラネー」
    そう言ってKは「うはは」と笑った。
    またオカルト絡みか。今日はただ蛍を見に来ただけだと思っていたのに。
    蓋を開けてみれば、やっぱりKはKだったということなのだろうか。
    その時、今までずっと沈黙を守っていたSが、ふと口を開いた。
    「出てきたぞ」
    その言葉に、僕はハッとして川の方を見やった。
    何も見えない。じっと目を凝らす。
    ちらと、青い火の粉のような何かが視界の隅に映った。それを区切りに、河原に無数の青白い光が浮かび上がる。
    突然、辺りがさらに暗くなった。KかSのどちらかが、テント前のガスランタンの光を消したからだろう。
    おかげで目の前の光がよりはっきりと見えるようになった。
    光は明滅していた。それも飛び交う全ての光が同じタイミングで消えては光る。
    それはまるで、無数の光全体が一つの生き物のように思えた。
    時間の経過とともに、光は更に数を増していった。河原を覆い尽くすかのように、僕らの周りにも。
    思考も感覚もどこかへ行ってしまい、目だけがその光を追っていた。
    度の強いウィスキーのせいで幻覚を見ているんじゃないかと疑う。それほど幻想的な光景だった。
    雲に隠れた星がここまで降りてきたかのような、そんな錯覚さえ抱く。
    「もの思へば、沢の蛍もわが身より、あくがれ出づる、魂かとぞ見る……」
    ふと、我に返る。Sの声だった。
    「……何それ?」と僕が訊くと、「和泉式部」とSは言った。
    「誰それ」とさらに尋ねると、溜息が返って来た。
    「お前、文系だろうが」

    それから数時間もの間。僕らはただ、目の前の星空を眺め続けた。飽きるという言葉すら浮かばなかった。
    時間はあっという間に過ぎた。
    その内に少しずつ数が減ってきて、時刻が夜十時を過ぎた頃、光は完全に沈黙した。
    Kがいったん消した焚き火を組み直し、火をつける。
    つい先ほど見ていた光とはまた別の火の光。ぱちぱちと薪が燃えて弾ける音がする。
    「昔の人は、人間に魂があるとすれば、それは火の光や蛍の光のようなものだと考えたんだが……。
     今のを見れば、まあ分からなくもないな」
    手の中で空の紙コップを弄びながら、Sがぽつりと言った。
    あの数は大量発生と言えるのだろうか。だとすれば、今年も誰かが川で溺れて亡くなったのだろうか。
    感動と共に、僅かな疑問が頭をよぎる。
    「……あ、そう言えばKって、虫取り網持ってきてたよね。使わんかったん?」と僕はKに尋ねる。
    おそらくは、あの光が人魂か虫かを確かめるためには、捕まえるのが一番手っ取り早いということで持ってきたのだろう。
    「ああ、忘れてたな……。ま、いいや。ありゃ人魂とかじゃねえよ。蛍だ。集団同期明滅してたし」
    蛍だった、とKは言いきった。
    「ああ、あの同時に消えたり光ったりしてたやつ?」
    「そ。ありゃ蛍の習性だからな。ああやって、同時に光ることで雄と雌を見分けてんだよ」
    「ふーん」
    「……あーあ、でも俺ぁてっきり、今までに死んだ水死者の魂が、飛び交ってんだと思ってたんだけどなあ」
    ただ、そういうKの顔に落胆の色はなかった。あれだけのものを見たのだ。満足しない方がおかしい。
    僕たちはそれから焚き火を囲んで少し話をして、三人でウィスキーを二本ともう半分開けてから、寝ることにした。
    興奮はしてたものの相当酔っていたので、熱帯夜にもかかわらず、すぐに眠りにつくことが出来た。

    次の日の朝。起きると、テントの中に残っているのは僕が最後だった。
    外に出ると、Sは河原の石に座って釣りを、Kは底が硝子になっているバケツを川に浮かべ、網を持って何かを探していた。
    その日は、すっきりと雲ひとつない天気だった。
    川の水で顔を洗ってから、釣りをしているSの元へと行ってみた。
    「釣竿なんか持ってきてたっけ?」と僕が尋ねると、「昨日、そこの茂みで拾った」と言う。
    じゃあ餌は何を使っているのかと聞けば、昨日の内にテジロちゃんを捕まえておいたので、それを使っているらしい。
    見せてもらうと、テジロは本当に手の先が白かった。
    ちなみにSはこの後、立派な岩魚を二匹釣るという快挙を成し遂げた。
    塩焼きにして昼飯になったのだけれど、すごくおいしかった。
    Kの元へ行くと、彼はゴリという名の小魚を捕まえようとしているらしい。
    ちなみに彼はこの後ゴリを十匹ほど捕まえ、それは昼飯の味噌汁の具になるのだけど、
    ゴリは骨ばっててとても不味かった。

    二人共元気なことだ。などと思いながら、僕は河原を行ける所まで散歩していた。
    その時、ふと足元に黒い昆虫の死骸が落ちていることに気がついた。
    十字の模様がついた赤い兜に、黒い甲冑。拾い上げてみると、それは一匹の蛍の死骸だった。
    そのまま持ち帰ってKに見せてみた。
    「おう。蛍だな」
    ちらりと見やりそれだけ言うと、Kはまた腰をかがめて水中に意識を戻した、かと思うと、
    がばと起き上がり僕の腕を掴み、もう一度その蛍の死骸を見やった。
    「ゲンジボタルじゃん……」とKは呟いた。
    「ゲンジボタルなん、これ?」
    「ああ、頭のところに十字の模様があるだろ。てっきりヘイケボタルかと思ってたけど。
     ……でも、何でこんな時期に出て来てんだコイツ。一,二月くらいおせぇのに」
    僕はもう一度、自分の手の中のゲンジボタルの死骸を見つめた。
    Kは「おっかしいな~」などと言いつつ、ズボンから携帯を取り出すと、何かを調べ始めた。
    おそらくインターネットで、ゲンジボタルの生態でも確認しているのだろう。
    「……あ?」
    しばらくして、Kが妙な声を上げた。携帯の画面をじっと見つめている。
    「……どしたん?八月でも出ますよってあった?」
    「いや、そうじゃねえけど。いや、これは俺も知らんかったわ」
    「だから何が」
    Kは開いた携帯の画面を僕に見せながら言った。
    「ゲンジボタルの学名だ。……『Luciola cruciata』 ラテン語で、『光る十字架』だとよ」
    頭部の辺りに見える黒い十字が見えるけれど、これが十字架なのだろうか。
    「……何を祝福してんのか知らんけど、溺れた奴が全員キリスト教でもねえだろうにな」
    そう言ってKは「はは」と小さく笑った。
    光る十字架。
    僕は昨夜の光を思い出す。
    ゲンジボタルが光る時期より一,二ヶ月遅れたこの季節は、子供たちが川で遊ぶ季節だ。
    そうして人が溺れて死んだ年だけ、光る十字架たちは飛び回る。
    全くの無関係なのだろうか、それとも。
    ふと、昨夜Sが口ずさんだ歌を思い出す。
    あの後、Sにあれはどういう意味かと訊くと、彼は面倒臭そうにこう言った。
    『恋心に沈む自分の魂を、蛍にたとえた歌だ』
    昔から、人は人間の魂を蛍の光に例える。
    僕は首を振った。僕には何も分からない。

    昼食が終わった後、僕らはテントを片付けて荷物を車に運び込んだ。
    出発する前にKが「ちょっと待ってくれ」と言い、半分残ったウィスキーの瓶を持って、吊り橋の上へと向かった。
    何をするのかと見ていると、Kは橋の上からウィスキーの瓶をひっくり返し、残っていた液体を全て川へと振りかけていた。
    「よ、待たせたな」
    戻って来たKに、何をしていたのか尋ねようかとも思ったけれど、止めておいた。
    Kは何も言わなかった。だったら、こっちから聞く必要もないだろう。

    車のエンジンがかかり、僕らは川を後にする。
    「いやぁ、でも、良いもの見たしね。楽しかった」
    走り始めた車内で、僕は本心を言った。
    「そうだな」と珍しくSも肯定してくれたので、「また機会があれば、行こうよ」と二人に提案してみる。
    「おう、そうか。だったら、次は山だな」とKが言う。
    「かなり遠いけどな。昔人喰いクマが出て有名になった山があってな」
    いやそれはちょっと勘弁してくれ、と僕は思った。

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    【全米が】なんか笑える霊体験3【テラワロス】

    749 :本当にあった怖い名無し:2007/10/23(火) 19:27:41 ID:k/AHBZXo0
    フランスに仕事で行った夫。(10年以上前) 
    ホテルで強烈な金縛りに遭い、汗ぐっしょりになりつつも恐怖と必死に戦ったという。 
    ベッドのそばにフランス人の女の子が現れた。 

    「俺は、その少女に、ケツが臭いと言われた」と憤る夫。恐怖よりもショックのほうが強かったようだ。 
    この10年「俺のケツは臭いのか?」と悩んだという。 
    「別に臭くないよ」と励ましても、「いや、霊が言うんだから間違いない」と言って聞かない。 

    最近、とある海外の心霊関係のネットで、
    『白人の少女が現れて、これ何?と宿泊客にたずねるホテル』が紹介されてた。
    そのホテルは名前こそ出ていなかったが、場所の特徴から考えて、夫が泊まったホテルに違いなさそう。 
    フランス語で『これ何?』は、カタカナに直すと『ケスクセ?』らしい。 

    まさか・・・ネタと思うなかれ、本当です。
    夫は「十年にわたる、ケツが臭いかもという見えない鎖から解き放たれた」と本気で喜んでます。 
    『俺が会ったのはやはり霊だったのか』という恐怖は、今の彼からは微塵も感じられません。 
    良かったね。

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    原著作者「怖い話投稿:ホラーテラー」「なつのさん」 2011/03/27 17:38

    誘拐犯の女とその息子が、まだこの家の中に居る。
    すぐには理解できなかった。噛み砕いて、その言葉の意味をゆっくりと脳に染み込ませる。
    ようやく理解し、最初に出てきた感想は「そんな馬鹿な」だった。
    「そんなこと……」
    「無いと言い切れるか?お前、Kが言ってた、犯人の女が失踪する前に残した、遺書らしき手紙の内容覚えてるか?
     確かな情報じゃないかも知れんが、『息子の元へ行きます』って言葉は、『息子の居場所』を知っている者の台詞だ」
    「……何年も行方不明で、死んだものと思ったんじゃない?」
    「個人的な視点になるが、俺はそうは思わない。息子のために、白熱灯ならまだしも、部屋の窓を潰すような母親だぜ?」
    「でも、だったら……、行方不明は、狂言だったってこと?」
    「さあな。それは分からないな」
    「狂言なら、まさか、二人共生きてる……?」
    「いや。少なくとも息子は死んでるだろうな。だから、彼女は誘拐事件を起こすんだよ。
     動機については、警察の見立てで間違ってないと思う」
    いなくなってしまった息子への想いから、同じ年頃の男の子を誘拐しては、数日間だけ一緒に暮らす。
    息子と同じ部屋に閉じ込めて、息子と同じように会話をしようと話しかける。
    「つまり、だ。
     俺は、母親は何らかの理由で死んでしまった息子の死体を、
     どこかに隠し、周りには行方不明になったと伝えた、と考えてる。
     認めたくなかったのか、他の理屈が働いたのかは知らないがな」
    そして、一人に耐えきれなくなった母親は誘拐事件を起こす。
    息子の部屋で子供と接することで、自分の子供は生きていると思い込みたかったのだろうか。
    けれども、その行為を数回終えたところで悟ったのだろう。所詮、彼らは自らの息子じゃないのだから。
    「でもさ、何で、その二人の死体が『この家にある』 って分かるんよ?」
    「別に分かってるわけじゃない。ただの希望的確率論だ。
     自分の一人息子なんだから、少しでも傍に置いときたいと思うのが人情だろ」
    そしてSは壁を二度、コンコンとノックする。
    「……そして、だから、お前は今日ここに来たんだよ」
    「は……?」
    紙風船から空気が抜けたような間抜けな音が僕の喉から滑り落ちる。
    「……僕が、何?」
    「言っとくが、今俺が言ったのは、未だ真相でも何でもない。全て想像と憶測の産物だ。
     ただ、お前も、俺と同じように考えたに違いないんだ。否定するか?お前は無意識下の元ロジックを組み立てたんだよ。
     そうして、それを探したい、見たいという欲求が、ノックの音になって意識下に現れたんだ」
    「なっ、な、おい、何でSにそんなことが分かるのさ」
    「お前に聞こえるノックの音は、俺には聞こえない。だとすれば、そいつはお前の中で鳴っている音だ。
     お前自身が脳みそをノックしてたんだよ」
    「そんなこと言ったって、僕は、この家の子が日光に触れちゃいけない体質だったなんて、初めて聞いたよ?」
    「数年前に、この事件が世間で話題になった時、そのくらいの情報は流れただろうな」
    「し、知らないし、見てないし、覚えてないし」
    「覚えてなくたって、ちらりと見やっただけの情報も、脳みそはちゃんと保存しているもんだ」
    そんな馬鹿な、と言おうとしたけれど、それより早くSが口を開く。
    「じゃあ聞くが。お前、この家に入ってから、ノックの音は聞いたか?」
    その言葉に僕は絶句する。
    確かにそうだ。この家の中に入ってから、それまで僕を誘導していたノックの音はぱたりと止んだ。
    まるで、その役目を終えたかのように。
    「その音の役割は、お前を、親子二人の死体がある『らしい』この家に連れて来ることだ。
     ここまでは無意識下で組み立てられても、肝心な死体がどこにあるかなんて分からないからな。誘導しようがないのさ」
    僕は目を瞑り、後ろの壁にもたれかかる。身体から、どっと力が抜けてしまったようだ。
    Sが小さく笑って、僕の肩をたたく。
    「もう、ノックが聞こえることは無いだろ。ま、喜べよ。Kにいい土産話が出来たじゃないか」
    全く慰めになってない。僕は力なく笑った。
    それは結局、僕は自身の思い込みに従い、大きな大きな無駄足を踏んだということだ。
    「帰るか」というSの言葉に、僕は黙って頷いた。
    トボトボとSの後ろをついて家を出ることにする。
    当初、ノックの主に呼ばれているだなんて思っていた僕が馬鹿みたいだ。
    それでも。と頑張って思い直す。
    今日の体験が、非常に不思議で、なおかつドキドキワクワクして面白かったことは間違い無い。
    ノックの音に誘われて、僕はこんなところまで来てしまい、
    そこで起こった事件の裏の一面を、少しでも垣間見たかもしれないのだ。
    まあ、良い体験をしたと思おう。

    玄関のある部屋まで戻る。Sはもう靴を履いて外へ出ていた。
    これから、あの外した玄関の戸を元に戻さなくてはいけない。立つ鳥跡を濁さずってわけだ。
    その時、ズボンのポケットの中で携帯が振動した。電話だ。誰だろうと思い取り出してみると、それはKからだった。
    少し早めに恥ずかしい土産話を披露することになるのだろうか。
    一人で苦笑いしながら、僕は外に居るSに「Kから電話」と伝えて、玄関の段差に座り、通話ボタンを押した。
    『よおー。俺だ。昼に電話くれてたけどよ。何か用かー?』
    どことなく陽気なKの声。
    「え?K、まさか今起きたん?」
    『わりーかよ』
    確か時刻はもう五時に近いはずだ。
    「遅いよ。何時だと思ってんだよ、もう夕方になるよ?」
    『うっせーなー。何だよ。ソッチの要件は何だったんだよ』
    う、と言葉に詰まってしまう。Sの方を見ると、そっぽを向いて欠伸をしていた。
    「……ノック」
    『はぁ?』
    「ノックだよノック。そのノックのせいで、精神的にもノックアウトしちゃってさ。もうまいっちゃってさ」
    やけくそになって、僕は床を拳で軽くコンコンコンコンと叩きながら「あはは」と笑う。上出来な自虐ギャグだ。
    自分でも可笑しかった。可笑しくて笑う。床を叩いて笑って、そして僕は笑うのを止めた。
    電話の向こうでKが何か言っている。でも、何を言っているのかまるで聞こえない。
    床を叩く。
    コンコン。
    もう一度、違う場所を。
    コンコン。
    立ち上がって、携帯を切った。
    外と室内を繋ぐ四畳半程の部屋には、カーペットが敷かれている。
    最初に入って来た時も見た、渦まき模様の丸いカーペット。僕はその端を持ち、少しめくってみた。
    カーペットの下は板の間で、そこには半畳程の大きさの正方形の扉があった。
    心臓が音を立てて鳴っている。頭の中を様々な思考が飛び交っているのに、何も考えることが出来ない。
    それは、取っ手の金具を引き出して上に持ち上げるタイプの扉だった。この先に何があるのか、何の扉かもわからない。
    手を伸ばして、扉を叩く。
    コンコン。
    それは僕が今日、今まで聞いてきたノックの音と全く同じ音だった。
    どうしてだろう。どうして僕は、『この音』 を聞くことが出来たのだろう。
    先程Sが言ったことが正しければ、僕は僕が聞いたことが無い『この音』 を創り出せたはずがないのだ。
    ……コンコン。
    僕は叩いていない。
    それは今まで聞いた中で一番弱々しかったにも関わらず、一番はっきりと聞こえたノックの音だった。
    決して脳内で創り出した音なんかじゃない。僕の鼓膜は確かにその微弱な振動を捉えていた。
    扉についている金具を引き出し、僕は扉を持ち上げる。
    かなり重かったけれど、ゴリゴリと音を立てて、扉の下からゆっくりと、まるで井戸のような黒いうろが姿を見せた。
    据えた匂いと、ひやりとした空気が、穴から立ち上る。背筋がぞくりとして、全身に鳥肌が立った。
    扉を落としそうだったので、裏側にあったつっかえ棒で固定する。
    「……何やってんだ?」
    いつの間にかSが、玄関からまた家の中に入って来ていた。
    僕は返事もしないで、扉の奥の穴を見つめていた。
    「そいつは……、たぶん、芋つぼだろうな」
    「芋つぼ……?」
    「その名の通りだよ。芋を保存しとくために、地下に掘る天然の土蔵だ。古い民家なんかにはたまにある。
     ……というか、お前これどうやって見つけたんだ?」
    Sの話を聞くでもなく耳にしながら、僕は穴の奥から目が離せないでいた。
    「……Sさ、車の中に、懐中電灯ある?」
    少しの沈黙の後、Sは「あるぞ」と言った。
    「それさ、取って来てくれない?」
    Sは何も言わず黙って車へと向かった。

    しばらくして戻って来たSの手には、二本の懐中電灯が握られていた。
    玄関先から、その内の一本を僕に投げてよこす。
    「ありがと」
    ちゃんと光がつくかどうか確かめて、僕は再び穴に向き合った。
    そっと光の筋を穴の奥に這わす。
    思ったより穴は深いようだった。三メートルほどだろうか。
    木の梯子がかかっていて、下まで降りたところで横穴がまだ奥に続いているらしい。
    横穴の様子は、ここからでは窺えない。
    何故か迷うことは無かった。僕は穴の中に入ろうと、扉の縁に手をかけた。
    「おい」
    Sの声。僕は顔を上げる。
    「数年間放置されてたんだ。梯子が腐ってることもある。気をつけろよ」
    「……OK」
    梯子に足をかける。最初の一歩を一番慎重に。腐っている様子は無い。二歩、三歩と、僕は芋つぼの底に降りてゆく。
    頭まで完全に穴の中に入ったところで足元が見えなくなり、あとは完全に感覚で梯子を下った。
    しばらくすると、足の裏が地面の感触を掴む。芋つぼの中はかなり寒かった。
    湿気なども無さそうで、なるほど、と思う。食料を保存しておくには適した場所だろう。
    スイッチを入れっぱなしにしていたライトをポケットの中から出す。そうして僕は、ライトの光をそっと横穴に向けた。
    あの時の光景を僕は一生忘れない。
    暗闇の中、足元からすぐ先に、一枚の茶色く変色した布団が敷かれている。
    その上で一組の親子が、互いに寄り添う様にして静かに眠っていた。
    掛け布団の中から二つの頭だけが出ている。きっとあの見えない部分では、母親がわが子を抱きしめているのだろう。
    僕はライトの光を向けたまま茫然と立ち尽くしていた。
    それ以上、一歩も前に進むことが出来なかった。
    足やライトを持つ手が震えているのが分かった。恐怖では無い。ただ、身体が震えていた。
    息をするのも辛くなって、僕は二人に背を向けた。
    その時、初めて自分が泣いているのだと知った。嗚咽もなく、ぼろぼろと涙だけがこぼれた。
    涙は熱く、頬に熱を感じる。
    怖くは無い。悲しくもない。感動しているわけでもない。よく分からない。
    ただ、強いて言うなら、『痛いから』 だった。
    自分の中の芯の部分が、ネズミのような何かに集団で齧られているような。そんな気分だった。
    頭上からライトの光が降って来る。Sだった。自分が照らされていることを知り、僕は俯いて涙をぬぐった。
    身体の震えはいつの間にか消えていた。
    梯子をつたって上へと上る。
    震えは止まったけれど、思うように身体が動かず、えらく時間をくった上に、最後はSに引っ張り上げてもらった。
    Sは何も言わなかった。僕が落ち着くまで待つつもりなのだろう。
    ふと玄関の方を見やると、家の中を隠すように戸が玄関に立てかけられていた。
    「ごめん……。もう大丈夫」
    そして、僕はSについ先ほど見てきた光景を話した。
    「そうか」
    Sの感想はただそれだけだった。
    僕はずっと考えていた。それは、僕がどうしてあの二人を見つけることが出来たかについてだった。
    偶然だったのか。または必然だったのか。僕が無意識下でまたやらかしたのか。
    それともあの二人に、もしくはどちらかに、呼ばれたからだろうか。
    答えは出なかった。
    僕はポケットから携帯を取り出す。
    「止めとけよ」
    その次の行動を見透かしたようにSが言った。
    「……何を?」
    「警察に通報するつもりだろう」
    「……そうだけど。どうして?」
    「俺が警察なら、お前を真っ先に疑う」
    その口調には何の力も込められていおらず、ただ、いつも通りのSの言葉だった。
    「あの二人をここに閉じ込めて殺した犯人としてな。
     ノックの音が聞こえたんでそれで来ました、なんて言ってみろ。それこそ、精神異常者として扱われるのがオチだ。
     まあ、色モノが大好きな世間様には気に入られるだろうが」
    「それじゃあ、公衆電話から……」
    「そんな電話、こちらから名乗れない以上、イタズラと思われて終いだろう。警察はイタズラ電話多いからな」
    「じゃあ、どうすんのさ……、だからって、このままにしとくわけにはいかないしさ」
    すると、Sはゆっくり息を吸って、こう言った。
    「何がいけないんだ?」
    それは予想もしなかった言葉だった。
    「何がって……」
    「俺は別に良いと思うけどな。このままでも。親子水入らずで過ごせるんだ。別に悪いことじゃないだろ」
    僕はあの二人の姿を思い出す。二人で寄り添い、一つの布団に入って眠っていたあの姿を。
    ここで親子の居場所を外に教えることは、あの二人の間を裂くことになるのではないか。
    何故いけないのか。そうだ、何故いけないのだろうか。
    僕は答える。
    「……やっぱり、駄目だ。知らせよう」
    病弱な息子を守りたい、危険から遠ざけたいとした母親。でも、息子の方からすればどうだったのだろう。
    生きている頃も、窓の無い部屋でずっと母親に守られ、死んでからも、こうして母の手に抱かれている。
    「あのさ……、性懲りもなくって思うかもしれないけんど……。
     僕が聞いたノックの音って、あの男の子が僕を呼んだんじゃないか、って思うんよ」
    芋つぼの扉を叩いた、弱々しくもはっきりとしたあの音。あれは『外に出たい』意志の表れではないだろうか。
    「あの子が生前、病気で思うように外に出られなかったとしたら。
     死んで身体から離れた今だから、自由にしてあげたいじゃない。
     ……でも、あれだけ母親に大事に抱え込まれてたらさ、それも出来ないんじゃないかなぁって……
     だから、何と言うか、お母さんの方も、子離れしないといけないのかなぁ、てね?」
    最後の方は、何か言ってて自分で恥ずかしくなったのだけれど、Sは黙って聞いてくれた。
    そして「ふー」と、欠伸ともため息ともつかない息を吐くと、
    「親の心子知らず、されど子の心親知らず、ってか」と小さく呟いた。
    「分かった。好きにすりゃあいいさ。
     ただ、直接警察に言うのは止めとけよ。見知らぬ親子のために、色々犠牲にすることは無いからな」
    じゃあ、一体どうすればいいんだろう。
    そんなことを思っていると、いきなりSが立ちあがり、未だ開いていた扉から穴の中に片足を入れた。
    「え?わ、何、どうすんの?」
    慌てる僕を横目に、身体の半分ほど穴に下りたSは一言、
    「まあ、任せておけばいい」と言って、さっさと降りて行ってしまった。
    穴の下を覗きこむも、Sが何をしているのか分からない。というよりも、Sはあの空間に居て平気なのだろうか。

    しばらくして、Sが梯子を上がって戻って来た。
    やはりというか、当然だけれど、その表情には動揺が見えた。でも、僕ほど取り乱した様子もない。
    「流石保存用の土蔵だな。イモだけじゃなくて、人間も保存できるのか……」
    それから、Sは携帯の写メを使って色々家の中を取り始めた。
    あっちの部屋に行ったと思ったらこっちの部屋に行き、芋つぼの様子を真上から撮影して、
    最後に外に出て、家全体の様子を映して、ようやく何かが終わったらしい。
    「さて、もう良いだろ。おい、外した戸を元に戻すから手伝え」
    二人で二枚戸を元に戻す。
    外すことが出来たんだから、戻すのも簡単だろうと思っていたのだけれど、
    それは間違いで、思ったよりも時間がかかってしまった。
    ようやく戸が元に戻った時には、もう時刻は午後五時半を過ぎていた。
    カラスの鳴き声と共に、辺りが段々と暗くなり始めている。
    Sが家に向かって一礼した。僕も倣う。
    そうして、僕らは未だ一組の親子が住む古民家を後にした。

    「帰りに、ちょっとネカフェに寄ってくぞ」
    車に戻りながらSが言った。
    「Sさ……大丈夫なん?眠いんじゃない?」
    「大丈夫だ。さっきのを思い出しさえすれば、眠気は飛ぶからな」
    そういうSの表情からは、冗談かそうでないかの判別がつかない。
    ふと、そう言えばKの電話を切ってから、携帯の電源をOFFにしていたことを思い出す。
    電源を入れると、着信履歴にKの名前がズラリと残っていた。電話するのも面倒くさいので、メールを一通入れておく。
    『約四時間か五時間後にそっち行くよ。尚疲れたので、帰るまで電話もメールも受け付けません』
    そして再び電源を切った。
    車に戻る頃には、陽は西の山に全部沈んでいた。夕焼けの残りが、オレンジ色の光を僅かに空に留めていた。

    「それで、ネカフェに行って何すんの」
    帰りの車の中、僕はSに尋ねる。
    「別に……大したことじゃない。ただ掲示板上に、写真を織り交ぜて、体験談風のウソ話を投稿するだけだ。
     もちろん、過去に起こった誘拐事件の概要、不法侵入の場面や、死体を発見した場面は真実を添えてな。
     後は勝手に親切な有志達が、警察に通報してくれる」
    「……写メ撮ったの?」
    「肝心なとこは撮ってねえよ。そんな気も起こらなかったしな」
    「……大丈夫かね。その文章と写真、直接メールで警察に送った方が早いんじゃない?何か余計な話題にもなりそうだし」
    「別に評判を貶めようってわけじゃないんだ。それに、メールで通報ってのは、ネット上の犯罪行為に限られてくるからな。
     心配しなくても、ちゃんと警察まで届くよう、別の手も打っとくさ」
    「何なん、別の手って」
    「そのうち分かる」

    そのまま僕とSは帰り道の途中にあったネットカフェに立ち寄り、そこで軽い食事もとって、
    また自分たちの街へと車を走らせた。
    その際にSは何度かKとメールのやり取りをしていて、帰りに彼の家に寄っていくことになった。
    やっぱりと言うか、Sも相当疲れているらしく、運転中、何度も眠たそうに目をしぱしぱさせていた。

    Kが住む大学付近の学生寮についたのは、午後十一時頃だった。
    Kはどうやら僕らが来るのを待ちかねていた様で、
    僕らが部屋の扉の前まで来ると、ノックをする暇もなく戸が開いて中に引き込まれた。
    「うおおっ、お前ら見ろお前ら!昨日行った児童誘拐事件の現場がすごいことになってんぞっ!」
    Kのテンションがすごいことになっている。
    そうしてKは、開いたノートパソコンの画面を僕らに押し付けて来た。
    そこには、数時間前にSがネカフェで作成したウソ半分本当半分の体験談が、もちろん僕とSの名前は伏せて載っていた。
    「いや、俺もSに言われて初めてこのスレッド知ったんだけどよ。いやあ、やべえなあこいつら。
     何かさ、扉壊してまで入ってさ。中で地下の隠し通路見つけてさ、さらに死体発見してやんの。
     しかもそのまま逃げ帰ってるしよ。あんまりなもんでさ、俺警察に通報しちゃったよ!マジで」
    ああ、なるほどな、と思う。別の手とはコレのことだったのか。
    興奮冷めやらぬKとは間逆に、Sは心底眠たげな目を、ぐい、と擦ると、
    「……おい、K、悪い、布団借りるわ。数時間寝る」と言って、部屋の隅にあった折りたたみベッドを広げると、
    ばたん、と倒れるように眠ってしまった。
    「何だよあいつ。ことの重大さが分かってねえぞ。
     ……いや、ってか俺さ、明日暇だからよ。も一度あそこに行ってみようかと思うんだが。なあなあ一緒に行こうぜー!」
    正直僕も眠たいのだけれど、がくがく肩を揺さぶられては仕方が無い。
    「……すくなくとも、Sは行かないと思うよ」
    「何でよ?いやまあいいや。そんなこともあろうかと、ちゃんと電車代とバス代いくらかかるか調べてあるから。
     片道四時間二十分。往復で五千円もかからないとよ、……ああ、アレだ、そう、片道2240円だとよ。往復で4480円」
    ん、何か聞き覚えのある数字だな、と思うけども、疲れて頭が上手く働かないので思い出すことが出来ない。
    「あれ……、そういや、お前ら、今日どこに行ってたんだよ?」
    その言葉に僕は思わず笑ってしまった。
    そうだった。そもそも土産話をしにここへ来たのだった。
    疲労でぼんやりとした頭を二度、コンコンとノックして、僕はこの元気な友人に一から語ってあげることにした。
    「いやぁ、今日の昼頃なんだけど、ノックの音がね……」

    このページのトップヘ