ほんとうにあった怖い話

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    原著作者「怖い話投稿:ホラーテラー」「なつのさん」 2010/09/22 08:37

    季節は秋で、当時僕は大学一回生だった。
    長い長い夏休みが終わって数週間が過ぎ、ようやく休みボケも回復してきたとある日のこと。
    時刻は昼過ぎ一時前。友人のKから『面白いもん手に入れたから来いよ』 と電話があり、
    大学は休みの日でヒマだった僕は、深く考えずに一つ返事で、
    のこのこKの住んでいる大学近くの学生寮まで足を運んだのだった。
    「よーよー、ま、入れや。Sも呼んであるからよ」
    寮の玄関先で待っていたKに促され、中に入る。Kの部屋は二階の一番奥だ。
    それにしても、階段を上りながら口笛など吹いて随分と機嫌が良いようだ。
    「なあなあ、面白いもんって何なん?」
    「まーそう急かすなって。ちゃんと見せてやるからよ」
    そんなKの様子を見て僕はピンと来るものがあった。
    Kの言う『面白いもの』とは、新作のDVDやゲームの類を想像していたのだけど、どうやらそうじゃないらしい。
    Kは生粋のオカルトマニアだ。何か曰く付きのナニカを手に入れたのだな、と僕は当りを付けてみる。
    部屋の前まで来ると、Kは僕に向かって「ちょっとここで待ってろ」と言って、自分だけ中に入って戸を閉めた。
    僕は素直に指示に従う。

    十数秒も待っていると、勢いよく戸が開いた。
    すると目の前には一枚の紙。
    「じゃんじゃかホイ!」と、僕の顔の前に紙をかざしたKが言う。
    紙はB4程のサイズで、パッと見、五十音順にかな文字と、一から十までの数字の羅列。
    よくよく見ればその他に、紙の上の方にはそれだけ赤色で描かれた神社の鳥居の様なマークがあり、
    鳥居の左には『はい』、 右に『いいえ』 と書かれている。
    紙は若干黄ばんでいて、所々に茶色いシミも見えた。
    「……何ぞこれ?」
    僕の疑問に、Kは掲げた紙の横に、にゅっと顔を出して答える。
    「ヴィジャ盤」
    「ヴ……ヴィ、何?」
    「ヴィー。ジャー。バーン。こっくりさん用のな。もっと言えば、こっくりさんをやる時に必要な下敷きってわけだ。
     そん中でもこれは特別だけどな」
    そう言ってKは「うはは」と笑う。
    とりあえず僕は部屋の中に入れてもらった。
    Kにアダムスキー型の飛行物体を縦につぶした様な座布団を借り、足の短い丸テーブルの前に座って話の続きを聞く。
    「こっくりさんって、アレでしょ?十円玉の上に数人が指を置いて、こっくりさんに色々教えてもらう遊び。
     で、これがその下敷きなんね」
    丸テーブルの上には、そのヴィジャ盤とやらが広げられている。
    あと、テーブルの端にビデオカメラ。どうやら何かしら撮影する気でいるらしい。
    「まー、ざっくり言えばそんなとこだな」
    「これKが書いたん?」
    「ちげえ。とある筋から手に入れた。まー詳しくは言いたかねえけどさ。
     どうせやるなら、とびっきりのオプション付きでやりてえじゃねえか」
    僕はそのKの言葉の意味が良く分からなかった。
    やりたいって一体何をやるんだろう?オプションって何だ?
    僕の頭上には幾つも?マークが浮かんでいたのだろう。
    Kはヴィジャ盤を人差し指でトントンと叩き、
    「このヴィジャ盤は、昔、ある中学校で女子学生が、こっくりさんをやった時に使ったものだ。有名な事件でよ。
     そのこっくりさんに加わった女生徒、全員がおかしくなって、
     後日、まるごと駅のホームから飛び降りて、集団自殺を図ったんだとよ。
     ほとんどが死んで、生き残った奴も、まともな精神は残って無かった。
     で、これが駅のホームに残されてた」
    トントントン、と紙の上からテーブルを叩く音。
    話の途中からすでに『みーみーみーみー』と、耳の奥の方で危険を告げるエラー音が鳴っていた。これはマズイ流れだ。
    僕は以前にも、この手の曰く付き物件にKと一緒に手を出して、非常に怖い思いをしたことがある。
    それも一度や二度じゃなく。
    「やろうぜ。こっくりさん」
    それでも、気がつくと僕は頷いていた。
    Kほどじゃないけども、僕もこういった類は好きな方だ。
    十中八九怖い思いをすることが分かっていても。6・4で怖いけど見てみたい。分かるだろうかこの心理。
    「でもこれ、元々女の子の遊びでしょうに。男二人でこっくりさんって言うのも、ぞっとしないねぇ」
    「ゴチャゴチャ言うない。ほれ、十円だせよ」
    「僕が出すのかよ」と愚痴りつつ、十円をヴィジャ盤の上に置く。
    すると、Kがそれを紙の上部に描かれている鳥居の下にスライドさせた。どうやらそこがスタート地点らしい。
    「あーそうだ。注意事項だ。最中は指離すなよ。失敗したら死ぬかもしれんしな」
    Kが恐ろしいことをさらっと言ってくれる。
    それでも幼児並みに好奇心旺盛な僕は、十円玉の端に人差し指をそっと乗せた。Kも同じように指を乗せる。
    「……で、何質問する?」
    「あー、それ考えて無かったな。まあ手始めに、Sがここにいつ頃来るか訊いてみるか」
    Kは適当に思いついたことを言ったのだろうが、それは中々良い質問だなと僕は思う。二人ともに知りえない情報。
    こっくりさんは果たしてどう答えるだろうか。
    「でーはー、始めますか」
    Kはそう言ってビデオカメラのスイッチを入れた。
    「んじゃあ……はいっ。こっくりさん、こっくりさーん。Sはあと何分でここに来ますかねー?」
    Kの間の抜けた質問の仕方が気になったけども、僕は邪念を振り払い十円玉に触れる指先に意識を集中させる。
    と言っても肩の力は抜いて、極力力を込めないように。
    十円玉はピクリとも動かない。
    ふと、座布団に座る僕の腰に何かが触れた様な気がした。
    視線を逸らすと、半開きの窓にかかるカーテンが僅かに揺れている。風だろうか。
    「……おい」
    Kの声。その真剣な口調に、僕ははっとして視線を戻す。けれども十円玉は赤い鳥居の下から動いていない。
    Kを見ると、じっと自分の指先を凝視していた。
    「……どうしたん?」
    僕はゆっくりと尋ねる。
    「なあ、この十円……ギザ十じゃね?」
    「あ、ホントだ」
    「こっくりさんに使った十円って、処分しなくちゃいけないんだぜ?もったいねー」
    ふっ、と安堵の息が漏れる。十円玉は動かない。

    それから少しギザ十の話になった。
    コインショップに行けば三十円くらいで売れるとか、
    昭和33年のものにはプレミアが付いているとか。でも使えば十円だとか。
    そんなくだらない話をしている時だった。
    部屋の戸が叩かれ、「おーい、来てやったぞ」と声がする。Sの声だ。
    そうしてSは、返事も待たずに戸を開けて部屋の中に入って来た。
    「よー……って何やってんだ、お前ら?」
    僕とKは顔を見合わせる。
    「何って、見たら分かるだろうがよ」
    「面白いもんがあると聞いてやって来てみれば、だ。お前ら、しょうもないことやってんなよ」
    「おいこらSー。こっくりさんのドコがしょうもねえっつーんだよ」
    「見る限りの全てだ」
    そう言いきると、SはKの部屋にある本棚を一通り物色して一冊抜き出すと、
    「相も変わらず、お前んちロクな本がねえな」と言って、一人部屋の隅で読書を始めた。
    僕とKはまた顔を見合わせる。Kは肩をすくめて、僕は少し笑う。
    そうして僕はふと気付く。
    十円玉の位置。さっきまでは、紙の上部の鳥居の下にあった。
    数秒間、瞬きすら忘れていたと思う。
    五十音順のかな文字の上に並んだ、一から十までの横の数列。その一番左。0の上に十円玉があった。
    少しの間言葉が出なかった。Kも状況を察したようだ。
    決して僕が故意に手を動かしたのではない。それどころか、何時そこまで動いたのか、僕は全く気付かなかった。
    人差し指は変わらず十円玉の上に乗っていると言うのに。
    僕はKを見やった。Kはあわてて首を横に振る。今度はKが何か言いたげな顔をしたので、僕も首を横に振った。
    このままでは何もはっきりはしない。
    僕はもう一度質問をしてみようと口を開いた。
    「えーと……こっくりさん、こっくりさん。今十円玉を動かしたのは、あなたですか?」
    その瞬間、十円玉が滑った。『はい』 の上。こんなに滑らかに動くものとは思いもしなかった。
    「……あなたは、本当にこっくりさんですか?」
    すると十円玉は、『はい』の上をぐるぐると円を描く様に動く。
    「うおおおおお!SSSー、ちょっと来てみろよおい」
    興奮したKが大声で呼んで、本から顔を上げたSが面倒くさそうにこっちに寄って来る。
    「何だようるせーな」
    「動いた動いた。動いてんだよ今!」
    興奮して「動いた」しか言わないKの代わりに、僕が一通り今起きた流れを説明する。
    Sは大して驚きもせず、「ふうん」と鼻から声を出した。
    「あ、それとさ。このヴィジャ盤って言うの?この紙にもさ、言われがあるそうで。
     何か昔、コレでこっくりさんした中学生が集団自殺したとか」
    それを聞いたSは、ふと何かを思い出すような仕草をして。
    「ん……?こっくりさんの文字盤は、確か、一度使った後は、燃やすか破るかしないといけないんじゃなかったか?」
    「え?」
    そんな情報僕は知らない。Kを見やる。しかしKが答える前に、十円玉が『はい』の回りをまた何度も周回する。
    それを見てKが「うっはっは」とヤケ気味に笑った。
    「その通りらしい。二度同じものを使うとヤバいらしい。
     具体的に言うと、こっくりさんが帰ってくれなくなることがあるらしい」
    「えっ、え、……はあ!?」
    まさか、先程オプションと言ったのはそれのことか。
    こっくりさんが帰ってくれないとどうなるのか。僕は怖々考えてみる。
    そのまま取り憑かれるのか?その後は、まさか、話の中で自殺した中学生の様に……。
    その思考の間も、十円玉は絶えず『はい』の回りをぐりぐり回っていた。しかも、徐々に動くスピードが速くなる。
    それでも僕の人差し指は、十円玉に吸いつけられたように離れない。何なのだこれは。
    その内、十円玉は『はい』を離れて、不規則に動き出した。そこら辺を素早く這いまわる害虫の様に。
    いや、よく見るとその動きは不規則では無かった。何度も何度も繰り返し。それは言葉だった。
    『ど、う、し、て、な、に、も、き、か、な、い、の』
    Kの額に脂汗が滲んでいる。たぶん僕の額にも。どうしよう。どうしよう。
    その時だった。Sが長い長い溜息を一つ吐いた。
    「こっくりさんこっくりさん。365×785は、いくつだ?」
    その言葉は、まるで砂漠に咲く一輪の花のように、不自然でかつ井然としていて。
    ぴたり、と十円玉の動きが止まった。
    「……時間切れだ。正解は286525。ちゃんと答えてくれないと困るな。まあ、いい。じゃあ、次の質問だ」
    僕とKは両方ぽかんと口をあけてSを見ていた。
    「ああ、その前に、お前ら二人。目え閉じろ。開けるなよ。薄目も駄目だ」
    Sは一体何をする気なのか。分からないが、とりあえず僕は言われた通り目を瞑る。
    「こっくりさんは、不覚筋動って言葉を知ってるか?」
    暗闇の中で腕が動く感覚。
    「そうか、じゃあ、その言葉を文字でなぞってみてくれ」
    十円玉は動いている。それは分かる。でも、つい先程に比べると、非常にゆっくりとしたペースだった。
    「分かった。ああ、お前らも目開けていいぞ」
    僕は目を開く。十円玉は、か行の『く』の場所で停まっていた。もう動かない。
    見ると、いつの間にかSがテーブルの端に置いてあったビデオカメラを手に持っている。
    「見てみろ」
    撮影モードを一端止め、Kは今しがたまで撮っていた映像を僕らに見せる。
    最初の部分は早送りで、場面はあれよあれよという間に、Sが僕らに目を瞑る様に指示したところまで進んだ。
    『そうか、じゃあ、その言葉を文字でなぞってくれ』
    ビデオ中のSの指示通り十円玉は動き出す。
    けれどもその移動はめちゃくちゃで、『ふかくきんどう』 の中のどの文字の上も通過することは無かった。
    「これで分かっただろ」
    ビデオカメラを止めてSが言う。
    「こっくりさんなんてものは、人の無意識下における筋肉の運動かつ、無意識化のイメージがそうさせるんだ。
     さっきも言ったが、不覚筋動。もしくはオートマティスム、自動筆記とも言うな。
     つまりは、意識してないだけで、結局自分で動かしてんだ」
    「俺は動かしてねーぞ」
    「……ひ、と、の、は、な、し、を、聞けボケが。無意識下つったろうが。
     その証拠に、参加者の知りえない、もしくは想像しえない問題に関して、こっくりさんは何も答えられないんだよ。
     ビデオ見ただろ」
    今、十円玉は動かない。
    けれど、それでも僕とKの二人は指を離せないでいた。
    こっくりさんでは指を離すと失敗となり。失敗すればどうなる、万が一……。そんな不安が胸の奥で根をはっているのだ。
    そんな二人を見てSは心底呆れたように、もしくは馬鹿にしたように、「あーあーあー」と嘆いた。
    「じゃあ訊くが、俺の記憶が正しければ、こっくりさんは漢字では狐に狗に狸と書く。
     その名の通り、こっくりさんで呼びだすのは、キツネやタヌキといった低級霊って話だが……。
     ここで問題だ。どうしてそんな畜生に、人間の文字が読める?
     文字を扱えるのは、死んでからも、人間以上のものでないと無理だと思うがな」
    それは予想外の問いだった。と言うより、僕はこっくりさんで呼びだすのがキツネだとすら知らなかった。
    「それは……、死んだ化けキツネだからじゃ。ほら、百年生きたキツネは妖怪になるって言うし……」
    「お前は百年生きたら、キツネの言葉が完璧に理解できるようになるのか?」
    「……無理です」
    「それと、だ。こっくりさんの元になったものは、外国のテーブルターニングって言う降霊術らしい。
     が、そいつは完全に人間の勘違いだと、すでに証明されている」
    そう言うと、Sは無造作にヴィジャ盤の上の十円玉に指を当てた。
    そして、僕とKが『あ』っと言うより先にこう呟いた。
    「こっくりさんこっくりさん。
     こっくりさんという現象は全部、馬鹿な人間の思い込み、勘違い、または根も葉もない噂話に過ぎない。
     はい、か、いいえ、か」
    すると三人が指差した十円玉が、すっと動き、『はい』の上でピタリと止まった。
    Sが僕とKを見やる。その顔は少しだけ笑っている様にも見えた。
    「俺は何もしてないぜ?意識上はな」
    そして十円玉から指を離し、彼はまた部屋の隅で一人、読書タイムに没頭し始めた。
    僕とKは互いに顔を見合わせ、半笑いのままどちらからとも無く指を離した。

    その日はこっくりさんに関してはそれでお開きとなり、
    三人で夕食を食べた後、僕はK宅からの帰りに自動販売機に立ち寄り、
    今日使用した十円玉を使って缶ジュースを一本買った。
    それ以降、身体に異変が起きただの、無性に駅のホームに飛び込みたくなっただの、そういった害は今のところ無い。

    ちなみに、Sがあれほどオカルトに詳しいのは、
    Kの部屋の家主も把握しきれてない程の蔵書を、「つまらん」と言いながらもほとんど読みつくしているからだ。

    あと最後に一つ。あの日撮影したビデオカメラには映っていたのだ。
    Sが計算問題を出すまでの間、僕とKの他に、もう二本の手が十円玉に触れていたことだけは付け加えておきたい。
    Sが問題を出したとたん、朧げな手は、ひゅっと引っ込んだ。
    それを見て僕は、やはりオカルトに対抗するのは学問なのだなあ、と思った。

    原著作者「怖い話投稿:ホラーテラー」「なつのさん」 2010/09/10 07:36

    その日、僕は友人Sの運転する車に乗って、県境の山奥にあるという廃村に向かっていた。
    メンバーは三人で、いつも通り。運転手がSで助手席に僕。もう一人、後部座席を占領しているのがKだ。
    僕らが街を出たのは午前十時頃で、途中で昼食休憩をはさみ今は二時過ぎ。
    目的の廃村までは、あと一時間といったところだった。
    車は現在、川沿いのなだらかな上り坂を、ゆったりとしたペースで上っている。
    僕は開いていた地図に再び目を落とす。
    これから行く廃村はもはや地図に載っておらず、赤ペンでぐりぐりと印がつけられている場所が僕らの目的地だ。
    等高線の感覚がかなり狭い。それだけ辺鄙な場所にあるということだ。

    ふと、後部座席の方から軽いいびきが聞こえる。
    「……毎度毎度思うんだが、どうしてこいつは人を足代わりに使っときながら、後ろで一人悠々と寝てられんだ?」
    一度バックミラーを覗き込み、不快と言うよりはもはや呆れた口調でSが言う。
    今日のこの日帰り廃村ツアーを企画立案したのはKである。
    『この廃村にはな、不思議な井戸があるらしいんだとよ』
    昨日大学の学食にて、目を少年の様に輝かせ僕とSに語るKは、生粋のオカルトマニアである。
    僕とSはこれまでにもう何度も、Kの導きによってそういうスポットに足を踏み入れてきた。
    もちろんハズレも多かったが、たまにアタリもあった。
    「Kは車酔いしやすいからね。車ん中で吐かれるよりはマシじゃない?」
    「……おいおいKの奴ヨダレ垂れてんぞ」
    Kの話によると、その廃村には普段は枯れているが、新月の夜にだけ水を満たす井戸があるらしい。
    何でも、その井戸の底には河童の死骸が眠っているとされ、
    井戸の水を飲むことが出来れば、その人の寿命が五十年は伸びるそうだ。
    「河童が眠る井戸かあ……」
    僕がぽつりと呟くと、Sがそれに被せる様に欠伸を一つした。
    「そう言えば。河童の肉って、食べたら不死になれるんだっけ?」
    「……ん?ああ。人魚の肉と混同してるのかは知らんが、そういう言い伝えもあるにはある。
     河童にはまだ色々と言われはあるんだがな。広く分布した物の怪だから、その分話のバリエーションも豊富だ」
    「ふーん」
    Sの話の後半部分は聞き流して、
    その井戸の水には河童のダシが染み込んでいるのかしらん、等と、僕は窓の外に目を向けながら考える。
    今回はアタリかハズレか。何にしても、せっかく行くのだから面白そうな土産話くらい持って帰りたいものだ。
    ちなみに、今日の夜は月が見えない。

    「Sさー。もしその井戸に水があったとして、飲む?」
    「飲まん。寿命の件は置いといてだ。
     そもそも管理の行き届いてない井戸水なんぞ、中に何が溶け込んでいるか分かったもんじゃないからな」
    「だよねー」
    僕もSもその気は無い。但し一人だけ、今後ろで寝ているKだけは、飲む気満々らしかった。
    何せ、お気に入りのコーヒーカップとスティックシュガーとインスタントコーヒーまで持参して来ているのだからこの男は。
    「ってヨダレがシートに落ちてんぞ。おいこらK!」
    Sがバックミラーを見て怒鳴る。それでも当の本人は、シートにもたれて気持ちよさげに眠るばかり。
    きっとオカルティストが喜ぶ夢でも見ているのだろう。

    車を停めたSがKを叩き起こし、それから一時間と半。
    道は進むにつれ細く荒れてゆき、心配症の僕は少々不安になり、
    手持ちのこの地図は本当にあっているのかと疑い始めた頃、
    何だか地蔵が沢山並ぶ小さなお堂を通り越して、僕らはようやく目的の廃村に到着した。
    「おー、ここだよ。ここ!」
    車から降りたKが大声を上げる。
    廃村と言っても、その村はまだ村としての形を残していた。
    山の斜面にへばりつく様にして、いくつかの廃屋が左右にも上下にも立ち並んでいる。
    と言っても木造の家自体は朽ちかけて、蹴り倒せるかと思う程ボロボロなものばかりだ。
    辺りには膝より高い草がぼうぼうに生えていて、何処が道だったのかもよくよく見ないと分からない。
    村の下方には小さな川が流れていて、その向こうはまた山。生い茂った緑の壁と言った方がしっくりくるかな。
    「おーい。お前らこっち、こっちだっつーの!」とKの声がする。
    停めた車の傍で辺りをぼんやりと見回していた僕は、ふっと我に帰り、Kの方へと向かった。
    一番最後に車から出たSも僕の後からついて来る。
    村の端、もうほとんど森の中と言った少しのスペースにKは立っていた。
    「河童井戸だ」
    Kが指差して言う。Kが井戸というそれは、石造りで、一辺が七十センチほどの正方形の形をしていた。
    上に石の蓋がしてある。屋根もつるべもない。
    井戸と聞いて、もう少し堂々としたものを想像していた僕は、正直がっかりしていた。
    けれども、昔の村の井戸などと言うのは、大概こんなものなのかもしれない。
    「おい、ちょっとお前ら、手を貸せ。この蓋あけっからよ」
    僕とSは嫌々だったが、力を合わせて三人で蓋を開ける。すんごい重い。
    蓋をずらした瞬間、冷蔵庫を開けた時の様な冷たい空気が頬を撫でた。
    暗くて深い穴がその口をぽっかりと開ける。地面に垂直に掘られたうろ。覗きこむと、首筋辺りに毛虫が這う感覚を覚えた。
    「わっ!」
    穴に向かって突然叫んだのはKだ。その声は井戸の内壁に反射して、幾重にも重なって戻って来る。
    次にKは地面に落ちてあった石を投げいれた。
    ……かつっ、
    僅かな音。それは、この井戸に水が無いことを示していた。
    「枯れてるな」とSが言った。
    僕ら三人は、それから無言のまま視線を交わし合う。
    Kが背に背負っていたリュックから懐中電灯を取りだした。井戸の中を照らす。
    ライトの光は井戸の底を照らしはしなかった。光が弱いのか。しかし相当深くは掘ってあるらしい。
    もちろんここに眠るとされる河童の姿など影も形も見えない。
    「なーんも見えねー」
    「少なく見ても、三十メートルはありそうだな。浅井戸かと思ってたが、そうじゃないのかもな」
    そう言って、Sはまた石を投げ込もうと思ったのか地面の石を拾った。
    それから、ふと何かに気が付いた様に手にした石を見やり、結局投げ入れずにKの方を向いた。
    「で?これからどうすんだ」
    Kは「おう」と元気よく返事をしてから、
    「決まってんじゃん。話によるとだな、この井戸に水が湧くのは新月の夜、月が出てからだからー。それまで待とうぜ」
    ようするに、待機。
    Kの言葉は予想出来ていたものではあったが、僕は「うーん」と唸って辺りを見回した。
    廃村。ここで暗くなるのを待つと言うのは、中々ホラーチックで楽しそうではある。
    もし一人きりなら、断固として遠慮したいところだ。

    それからとりあえず、僕らはいったん車の方に戻ることにする。確認すると時刻は四時半だった。
    Kが首尾よくトランプなど持ってきていたので、
    極力草の生えていない処を選んで、フロントガラスにひっつけるカーサンシェードを敷き物代わりにして、ポーカーをやった。
    結果はKがダントツでトップ。
    次にインディアンポーカーをやってみた。結果はSがダントツでトップ。結局ポーカーでは僕は一つも勝てなかった。

    「ところで、あの井戸についてなんだが……」
    それは、ポーカーは止めて三人で大富豪をしていた時のことだ。Sが口を開いた。
    それは何気ない、まるで独り言の様な口調だった。
    「河童云々の部分は……、一体どういう話なんだ?」
    自分の番でカードを捨ててから、Kが「あ?俺に聞いてんの?」と問い返す。「お前しか知らないだろ」とS。
    「あー。そだな」とKは語りだす。
    「昔、この村に住んでた一組の夫婦が、そこの川で河童を見つけたそうだ。
     そんで、夫の方が後ろから棒でぶん殴って、ふんじばって村まで持って帰った」
    「河童を?何で?」
    僕の疑問に、Kは「うはは」と笑った。
    「喰うためだとよ」
    「マジでか」
    「河童の肉には、不老不死の力があると信じられてたからな。
     ま、それとも単に、腹が減ってたからなのかは知らねえけどよ。
     そんで、いざ食おうとした時に、河童が気がついて逃げ出したんだ。
     当然追いかける。河童は逃げる。で、逃げこんだ先が井戸だった、と」
    「あれま残念」
    「それから、村人は井戸に蓋をするんだけどよ、河童は三日三晩井戸の中で叫び続けたそうだ。
     で、四日目の新月の夜。叫び声は止んだ。河童はお陀仏しちまったってわけだ」
    井戸は地下水脈に直接繋がっているわけではない。
    いくら泳ぎが達者な河童でも、出口が無ければどうしようも無かっただろう。
    「井戸が枯れたのは、その後のことだそうだぜ。水が無くなっちまったんだ。
     でも不思議なことに、新月の時だけは水が湧くんだとよ。河童水だな。
     ……これ、隣の村に住む爺さん情報らしいぜ。又聞きだけどな――ほい、革命!」
    「革命返し」
    「ぎゃー」
    そんなこんなで、僕らはトランプをしたり、雑談したり、寄って来る虫を追い払ったりして、時間を潰していった。

    そうして、気がつくと辺りは薄暗くなり始めていた。
    こうなると後は早い。数分後にはもうトランプの絵もはっきりとは分からないほど、周囲に夜が浸透していた。
    夜の山は暗い。何も見えない。虫、鳥の鳴き声。ガサガサと木の葉がすれている。
    空に月は無い。
    ぽっと灯がともる。Kがバッグからキャンプ用のガスランタンを取り出して、明かりをつけたのだ。
    「行こうぜ」
    僕もSも自分用の懐中電灯を持って、村の井戸に向かう。
    三人とも無言だった。何となく、陽が射している時とは雰囲気が違う。
    暗い。とにかく暗い。こんなに変わるものなのかと、僕は恐怖に近い違和感を覚える。

    ライトの光が照らす。井戸。蓋は開いている。
    僕は辺りを見回す。まるで井戸の中の暗闇が、そのまま吹きだして辺りを包んだ様に暗い。
    「……さてさて!果たして水はあるのでしょうか!?」
    場の雰囲気を盛り上げようとしてか、井戸の傍でKがわざと大きな声を出す。
    僕は少し笑う。ちょっとだけ和んだ。
    「ではではー。ここに石コロがひとつございまして、今から投げ入れて確かめてみま、しょう、や!」
    最後の『や!』でKは井戸の中に石を投げ入れた。
    ――とぷん――
    「……え?」
    反射的に声をあげてしまっていた。
    音がした。
    とぷん。
    それは井戸の底にあるものからの返事だった。
    今、井戸の中には水がある。昼間は確かに無かった。
    水があるのだ。
    「……うわ、マジかよ。すげえ!」
    僕は固まっていた。石を投げ込んだ本人のKすら驚いてる。
    僕ら三人の中で一番冷静なはずのSでは、この結果を受け俯き、何やらぶつぶつと呟き始めた。Sが怖い。
    「潮汐は……、関係無いな。いくら新月つっても、地下水面押し上げるほどの影響は無いし、この辺りには海も湖も無い。
     地球の自転が加速したか?……はっ、そんな馬鹿な。しかしだ、となれば……、」
    僕はSを見やった。Sが顔を上げる。
    「最初から、水は、あった」
    ぶつ切りにそういうと、Sは地面に落ちていた石を方手で二つ拾い、その手を井戸の上にかざした。
    何をする気か疑問がわくよりも早く、ひとつ石を落す。
    ――ちゃぽん――
    水に落ちる音。Sはすぐに手の位置をずらし、二つ目を落とした。
    ――かつん――
    これは違う。違う音だ。 
    何だろう。これはどういうことだ。Sは何をした。
    「……おそらく石か何か、硬いものが積りに積もって、水面から顔を出してんだろ」
    唖然としている僕に向かってSが言う。
    「昼間Kが石を投げた時は、たまたまその硬いものの上に落ちたってことだ。深すぎて中は見えなかったしな。
     先に、もう枯れてるって情報があったもんだから、一度で確認を止めた」
    僕はもう何が何だか分からなくて、
    頭に浮かぶのは、Sはこんな状況でも馬鹿みたいに冷静なのだなあ、と言う感想くらいだった。
    「はあー……、何と言うか。よくまあそこまで考え抜けれるもんだねえ」
    それは本当に感心したからこその言葉だった。Kも同じ気持ちだったに違いない。でもSは浮かない顔をしていた。
    「当たって欲しくなかった」
    「は、え?何が?」
    「おい、K」
    僕の質問には答えず、SはKを呼ぶ。
    「お前、そのバッグの中に色々入ってんだろ?ロープとバケツ、無いか?」
    「ん、あ、あー、あるぜ。つるべは無いって、前もって聞いてたからよ。え?出すのか?」
    「ああ」
    Kはバッグの中から、小さなプラスチック製のバケツと、細いロープを取りだす。
    Sはそれらを受け取り、バケツの取っ手に無言でロープを巻き付け、
    ロープの端をしっかり握ると、そのままバケツを井戸の中へと放りこんだ。
    バケツが水の上に落ちる音がする。
    「おいS何だよ。さっきの『当たって欲しくなかった』っつーのは」
    僕の代わりにKがもう一度Sに尋ねる。
    しかしSは答えてくれず、手に持つロープを小刻みに操っている。バケツの中に水をすくっているのだ。
    そしたら急にSはロープをぐいと大きく引っ張った。その瞬間、井戸の中から何かが音がした。
    まるで積み木で作ったお城が崩れるような音。積み重なった何かが下から崩れていく時の音だった。
    Sがゆっくりとロープを手繰り寄せる。
    「……Kがさっきした河童の話。あれが本当だとしたらな」
    「え、え?」
    唐突で身構えても無かったので、僕は変な声を出していた。そんなことはお構いなしにSは話を続ける。
    「あれは、河童が入ったせいで井戸の水が枯れてしまった、ってな話だ。
     井戸が枯れたのを河童のせいにする。それなら納得できる」
    僕はまだSが何を言おうとしているのか分からない。
    「でも、実際に井戸はまだ使える。水があって、こうして汲むことが出来るんだからな。
     飲み水に使用できなくても、畑にまく、洗濯、洗い物の水、用途はいくらでもある。
     この村の人間は、わざわざ河童の話を創ってまで、使えるはずの井戸を『枯れている』 ってことにしたかったんだ」
    Sがロープを手繰る。僕はその動きだけを目で追う。
    「水があっても、使えない。この水は使えないんだ」
    バケツが井戸の縁まで上がってきた。Sがそれを掴み上げる。
    黄色いバケツの中には透き通った水。それともう一つ。何だろう、細長い石?
    「……まさか、こんなものが釣れるとはな」
    Sの言葉には苦笑が混じっていた。
    「お前ら、これが何だか分かるか?」
    分からない。僕もKも首を横に振る。
    Sがバケツの中からそれを取りだす。やはり石だ。
    人の形をしている様にも見える。但し、頭、顔が無い。まるでボーリングのピンだ。
    Sは次いで自分のポケットに手を入れ、何かを出した。
    それも石だった。丸い石。
    Sは細長い石の上に、丸い石をゆっくりと乗せた。ライトで照らすと、丸い石には表情がある。つまりは顔。
    「……河童というものが、昔、貧困ゆえに間引きされた子供の暗喩だ、という話は聞いたことがあるか?」
    Sは一体何を言っているのだろうか。
    「そうして間引かれた子供のことを、水子と言う」
    ぞくり、と生ぬるい風邪で体中を撫でまわされる様な感覚。
    視線が井戸の中へと向かう。今にもあの中から何かが這いあがって来ているのではないか。そんな錯覚に陥る。
    「お前らには分からないかもしれんが、ここに子供が縋りついている」
    Sが手にした地蔵の足の部分。確かに小さく盛り上がってはいるが、あれが子どもなのだろうか。
    「こいつは水子地蔵だ。水子を供養するための地蔵なんだよ。それが井戸の中にあったんだ。……分かるか?」
    井戸から這いあがって来る。何かが、何が?
    水子、間引かれた子どもたち。
    たち?どうしてそう思うんだろう僕は。
    「こいつは井戸じゃない。墓だ。たぶん、一人じゃないだろう。共同墓地か。
     河童の話でもあったな、食うためにってさ。直接じゃなくて、自分たちが食っていくために、って意味だろうな」
    そして、Sはバケツを持ってKに差し出す。
    「飲むか?ある意味長寿の水かもしれんぞ。何てたって水子だ。
     あと何十年も生きるはずだった子らのダシが、たっぷり出てるんだからな」
    Kは半笑いで、力なく首を振った。
    「飲むわけねーだろ」
    「……ま、だよな。お前は?飲むか?」
    そう言ってSは僕にもバケツを差し出してくる。
    「無理無理無理無理無理ムリむり」
    「だよな」
    そうしてSはくっくと笑うと、バケツの中の水を井戸の中に戻した。
    それは試合終了の合図でもあった。
    蓋を閉め、首の取れた水子地蔵をその上に置き、僕ら三人は手を合わせた。

    そしてSの車で村を出る時、僕は初めて気づいた。村の入り口近くにある御堂、そこに並んでいた沢山のお地蔵さん。
    通り過ぎる際にSがぽつりと言った。
    「あれも、全部、水子地蔵だぜ」
    その瞬間、粟立った。
    怖い。ああ、怖い。
    ユウレイよりも妖怪よりも、暗闇よりも、何よりも。
    ヒトは、怖いのだ。
    しんと静まり返った車内。響くのはSの欠伸の声だけ。Kまでもが何も喋らない。
    「ワリー。……ジョークだ」
    欠伸の後、Sがぽつりと言った。
    「……」
    聞こえていたけど、僕は反応しなかった。
    「ジョークだよ」
    さっきより強めに言われて、僕はようやく反応する。
    「……、……は?」
    「全部、ジョーク。冗談。ジョーダン。口から出まかせ」
    意味が分からない。僕はSを見る。Sは僕にちらと視線をよこし、「くっく」とさも可笑しげに笑っている。
    「すまん。あんな簡単に信じるとは思ってなかったんだ。
     井戸からバケツ引っ張り上げた時に、丁度いい形の石が出てきたもんで、つい調子にのってな。
     そしたら引き際が分かんなくなって、ワリー」
    「え……、え、でっ、だ」
    そんな馬鹿な。
    「じょ、ジョークって。……河童とか、水子の話は!?」
    「河童が、間引きされた子どもの暗喩だってのはある話だ。でもな、考えてみろ。
     村人が本当にそんなことをしたのなら何故、自分たちの罪、いや恥だな。恥をわざわざを暗喩して人に伝えようとする?」
    「だ、誰でも分かるわけじゃあ無いし、後悔の気持ちがあったとか……」
    「俺には分かったし、あの河童の話で、私たちは後悔してますと言われてもな……。
     まあ、そんな暗喩があることを当時の村人が知らず、本当に偶然語り継がれた話ってことも考えられるが。
     そうだとしても、だ。あの井戸に、子どもは埋まっていない」
    「な、何で分かるのさ!」
    「簡単だ。生活に困るからだ」
    「は……?」
    「山奥の農村で、井戸に頼るというところは少ない。他に色々水源はあるからな。
     それでも、あんなに深い井戸を掘らなくちゃいけなかったってことは、本当にあの井戸が必要だったからだ。
     そんな井戸に、ガキを放りこむ馬鹿は居ない。捨てる場所なら他に沢山ある」
    「で、で、でも、あの水子地蔵は……」
    「ありゃ嘘だ。あれはただの石。形も全然違うしな。村の入り口にあったのも、ありゃ只の地蔵だ」
    「……井戸の水が」
    「一度枯れてまた湧き出るなんてことは、ある」
    「……」
    僕はKに助けを求めようと、後部座席を見る。
    Kは寝ていた。どうも静かすぎると思ったんだ。くそう、使えねえ奴め。
    「Kには黙っとけ。もう少し静かにさせとこう」とSが言う。
    僕は今一度放心状態に陥る。
    騙された。騙されたのだ。これ以上ないくらい綺麗に、見事に。
    けれども、僕は何だか地の底から救われた気分だった。
    もちろん、この野郎と言う気持ちはある。むくむく沸いてきている。
    でもそれ以上に心の底から思う。
    冗談で良かった。
    Sが冗談と言うのだから、きっとそうなのだ。
    僕はそう思うことにした。
    だから僕は、井戸の蓋が、どうして重い石造りだったのかも気にしないことにした。
    だから僕は、Sの表情が、普段よりも優しげなことについて気にしないことにした。
    だから僕は、ふと思い出した、あのバケツを差し出された時に見た、水と一緒に入っていた小さな歯のようなものについて、
    Sに訊くのは止めておくことにした。
    全部、ジョークだから。

    原著作者「怖い話投稿:ホラーテラー」「なつのさん」 2010/08/27 22:58

    ことの始まりは、ある夏の夜。深夜十一時を過ぎた頃に突然来た、友人Kからの一通のメールだった。
    ――これから電話来ると思うけど。それ、俺だから――
    僕はその時、自宅のベッドの上で大学の図書館から借りてきた本を読んでいた。
    Kがこんな時間に電話してくること自体は、まあそれほど珍しいことではないのだけど、
    いちいちメールで事前告知をしてくるのが気になった。一体、何の話だろう?
    そんなことをぼんやり考えていたら、ぶうーん、と蜂の飛行音の様な音を立てて携帯が振動した。Kからだな。
    しかし携帯の画面には、Kの名前の代わりに『公衆電話』と書かれていた。
    はて、と思った。これがKからの電話だとして、どうしてKはわざわざ公衆電話から僕に電話を掛けてきているのだろうか。
    先程メールが来たのだから、携帯は持っているはずなのに。
    しかしまあ、考えても分からないので、僕は読みかけの本を置いて電話に出た。
    「……もしもし?」
    『おせえ。早く出ろよおめーよ』
    確かにそれはKの声だった。
    「こんな夜中にどうしたのさ。それに、そこって電話ボックスの中?」
    『ゴメーイトゥ』
    「何でそんなとこから掛けてきてんのさ?」と訊いてみるは良いが、実は僕にはその答えが半ば予想できていた。
    Kがこういうことをする時は、必ずオカルトがらみのあれこれなのだ。
    『実はよー、この電話ボックスがよ。有名な心霊スポットだって噂を聞いてだな。
     昔ここで事故があったようでよ。
     なんか、こうやって電話掛けてると、いつの間にか男が、外からこっちをジーっと、見つめてるんだとよ』
    「あーはいはい。そんなことだろうと思ったよ」

    …そして、その男の霊はまだ生きていた頃、仕事帰りにいつもそこの公衆電話を使用していた。
    携帯のまだ普及してなかった時代。家族に『もうすぐ帰るよ』 と連絡していたのだ。
    が、しかし。ある日、仕事が終わって電話を掛ける前に、よそ見運転の車に轢かれて死んでしまった……。

    Kの話を聞いた瞬間。そんな悲しいストーリーが、僕の頭の中では展開されていた。
    先程まで読んでいた小説の影響だろうか。
    けれども、僕は不思議に思う。オカルト好きにして怖がりなKが、よくそんなスポットに一人で行けたものだ。
    「で、そこに男の人は居るの?」
    『あ、違う違う。男の霊が出るのはこっちじゃなくて。電話かけられた方だとよ』
    「……は?」
    『窓の方に出るらしいからよ。出たら、実況してくれ』
    僕は窓の方を見た。反射的な行動だった。
    カーテンがふわりと揺れていた。窓は閉めていたから、今日の暑さに我慢できずにつけたエアコンのせいだろう。
    ここはアパートの二階、窓に映るのは闇夜の景色だけのはず。
    しかし。
    僕の喉から、ひゅっ、と息が漏れた。
    そいつは身体全体をガラスに押し付ける様に、ぴったりと窓にはりついていた。
    腕も足も九十度近く曲げ、その目は何処を向いているのか分からない。
    服は着ておらず全裸。その身体はぞっとする程白かった。
    ヤモリだった。
    「……いた」
    『マジでっ!?』
    「ヤモリが」
    『あ?……男の霊は?』
    「いない。というか待て。待て。ちょっと遅いけど言わせておくれよ」
    『おう』
    「ナンダソレ」
    『何が?あ、ヤモリ?』
    「……違う。僕を餌に使うなよ、ってこと。そういうのは自分で体験して何ぼでしょうが」
    しかしだ。なるほど合点がいった。だからKは今回一人でも大丈夫だったのだ。何せ怖い思いをするのは僕一人だから。
    『まあ、いいじゃん。お前だって見たいだろ?ユーレイ。ってか、もう一度窓見てみ?今度は居るかもよ』
    「さっきから窓見てるけど、誰も居ないよ」
    代わりに、僕の視線に気づいてか、ヤモリが素早い動きで視界から消え去った。
    『何だよ面白くねーなー。この電話から掛けると、必ず相手の絶叫が聞こえるって話だったのによー』
    僕の絶叫が聞きたかったのかコイツ。
    「……そんなに絶叫が聞きたいなら、Sにも電話掛けてあげれば?数打てば当たるかも知れないよ」
    『そうだな。あ、でもよ、あいつ寝てる途中で起こされると、メッチャ不機嫌じゃん。ユーレイよりこええし』
    「はは。まあ、確かにね。でもユーレイより怖いってのは、」
    ガチャン。
    「ちょっと……あれ?Kー?もしもしー?」
    ……ツー、ツー、ツー……、
    どうやら電話が切れてしまったようだ。Kは二十円くらいしか入れてなかったのだろうか。
    どうしよう。Kの携帯に直接掛け直そうか。
    そんなことを考えているうちに、僕の手の中で携帯が振動する。
    Kからに違いない。僕はそのことに、微塵も疑問を抱いていなかった。
    けれども、ふと手が止まる。
    携帯の画面。表示されているのは『公衆電話』か、Kの携帯番号だと思っていた。
    読めなかった。表示が文字化けしていたのだ。こんなことは初めてだ。
    ぶうーん、と携帯は僕の手の中で振動している。
    僕は僅かに揺れるカーテンの向こうの窓を見た。何もない。見えない。ヤモリも。もちろん男など居ない。
    そのまま窓を凝視しながら、僕は通話ボタンを押した。耳に当てる。
    「もしもし?」
    何か聞こえる。小さいけれども誰かが話している。
    「もしもし?K?」
    『……遅く……ごめ……』
    Kじゃない?
    微かに聞きとれるその声は、TVの砂嵐に似たノイズが混じり、断片しか聞こえなかった。
    何だ?誰の声だ?
    『……言うな……そ……』
    男の声だと言うのは分かった。しかし、一体だれなのか。何を話しているのか。僕に向けられた声では無い。
    『……今から帰るよ……』
    次の瞬間、耳が壊れるかと思う程の何かがぶつかる様な音。
    何かを引っ掻く様な音。何かが壊れる様な音。何かが割れる様な音。
    そして何かが、柔らかい何かが潰れる様な音。
    思わず僕は携帯を耳から離した。
    音が無くなる。
    再び携帯を耳に当てる。
    『……ツー、ツー、ツー……』
    電話は、切れていた。
    何だったのだろうか、今のは。間違い電話だろうか。
    ……今から、帰るよ……。
    最後の言葉だけはやけにはっきりと聞こえた。家に帰るつもりだったのだろうか。
    その男はいつも仕事帰りにその公衆電話を使用し、ある日、仕事が終わって電話を掛ける前に……。
    そこまで考えて僕は首を振る。妄想だ。そんなものは。
    その瞬間、また携帯が震えて、僕は身構える。
    しかし、今度はちゃんと画面に表示されている。Kの携帯からだった。
    「もしもし……?」
    『おっせーよ。とっとと出やがれこの野郎が』
    Kの声を聞いて僕はほっとする。
    そうしてからすぐに、何で僕が怒られなきゃいかんのかという疑問点に気付き、
    無性にKのすねを思いっきり蹴ってやりたくなった。
    『男は出たか?』
    「出てねー。……あ、でも、変な電話が掛かってきた」
    『あ、ナニソレ?』
    「今から帰るよ、って」
    『男から?』
    「たぶん。それから、すごい音がした」
    『ふーん。今、窓には?』
    僕は窓を見る。もちろん、何も無い。誰も居ない。
    「異常なし」
    『……じゃ、間違い電話じゃね?そんな噂聞いてねえし』
    「うん……。何だか僕もそんな気がしてきた……」
    それからKは『ああ、そうだそうだ』と、何か面白いことを思いついた時の声で言った。
    『俺、これから、ある実験をしてみようと思ってんだけど。お前、携帯耳から離すなよ』
    「……何すんの?」
    『ま、それは聞いてからのお楽しみだ』
    Kは何をたくらんでいるのだろうか。気になった僕は、じっと耳を澄ます。
    その時だった。視界の隅で何かが動いた気がした。顔を上げる。窓。カーテンが僅かに揺れている。
    ヤモリだろうか。いや、今のはそんな小さな動きじゃなかった。何だろう。
    「……K?おーい、Kー?」
    少し不安になった僕はKを呼んでみる。でも返答は無い。
    「おーいー。誰かいますかー……」
    まただ。窓の向こうで何かが動いた。
    僕はベットから立ち上がり、窓の方へと近づいた。
    心臓の鼓動が段々と早くなってくるのを感じた。
    見間違いじゃない。僕の部屋の外に、何かがいる。
    恐る恐る窓に近づく。そして僕は携帯を耳に当てたまま、カーテンを掴んで一気に開いた。
    僕はその場に立ちつくす。携帯電話の向こうからKの声が洩れてきた。けれどそれは僕の意識まで上って来なかった。
    外には何も無かった。誰も居なかった。窓の向こうには相変わらず黒く塗りつぶされた街の景色が広がっているだけ。
    暗闇を背にしたガラスは、鏡の様に僕の部屋の中を映していた。
    外じゃない。そいつは部屋の中に居たのだ。
    僕の背後。窓とは反対側の玄関へと続くドアの傍に何かがいた。
    振り向くことが出来なかった。心臓の鼓動がより早くなる。
    服装で男だと分かったが、それ以上は無理だった。そいつにはちゃんとした顔がついていなかった。
    まるで、出来の悪いスプラッター映画を見ている様な気分。
    鼻から上が無い。そいつは顔の半分が欠如していた。無いのだ。文字通り無。目も無い、耳も無い。
    でこも無い。ならば脳も無いのだろう。
    そいつの口が動いた。ゆっくりと上下に開く。
    『ただいま』
    声はそいつの口から聞こえてきたのではなかった。僕の耳に当てた携帯から。もちろんKの声じゃない。
    『ただいま』
    ガラスに写るそいつの口の動きに合わせて、携帯電話の奥から声がする。
    『今、帰ったよ』
    ふつふつと脂汗が額に浮き出ているのが分かった。
    もし今振り返ったらどうなるのだろう。部屋の中には何もいないのか。それとも……。
    悲鳴が、叫び声が、喉の奥までせり上がって来ている。
    『ただいま。……今、帰ったよ』
    僕が悲鳴を上げようとしたその時だった、
    『うるせえな今何時だと思ってんだこのボケが!!』
    聞き覚えのある怒声が、僕の携帯を当てていた左の耳から右の耳へと貫通した。
    「うわあっ!」
    僕は飛び上がって悲鳴を上げた。
    けれどそれは恐怖の悲鳴では無かった。
    それからKの『うはははは』と言う笑い声が、電話の向こうから聞こえて来る。
    気付けば僕は窓の傍に尻もちをついてひっくり返っていた
    電話から聞こえてきた怒声はSの声だった。
    「うあ、うあ、うわわわ……」
    恐怖と驚きと混乱で、声にならない声が僕の口から洩れる。
    尻もちはついたけれど、携帯はしっかり手に持って放り投げてはいなかった。
    『……――あん?お前、○○(僕の名前)か?Kと一緒に居るのか?』
    何が何だか分からない。どうしてSの声が電話口から聞こえてくるのか。どうして僕が怒鳴られなきゃいけないのか。
    そして、ひっくり返った拍子に後ろを見てしまったわけだが、僕の部屋の中には今、僕意外に誰も居ない。
    窓に写っていた顔半分の無い男も居なかった。
    『おい、Kに代わってくれ。説教するから』
    Kは未だ電話の向こうで『あひゃひゃひゃ』と心底可笑しそうに笑っている。
    僕は何度も何度も細かい息を吐いて、ようやく理解した。
    つまり今、Kは公衆電話の中で、自分の携帯と公衆電話の受話器を合わせているのだ。
    Kを介して僕とSは互いの声が聞こえている。
    『うっはっは。あーおもしれー。ってか、こんな風につなげても会話って出来んだなー』
    『黙れボケが。何が可笑しいのか知らんが、明日会ったらお前、』
    『あーワリーS、十円しか入れてないからよ。もう切れるわあっはっは!』
    『テメ俺の安眠を、』
    ガッチャン。どうやらKが受話器を戻したらしい。
    『あー面白かった。ってかおめーも驚き過ぎだろ。マジで悲鳴あげてたし』
    「……うん」
    僕は恐る恐る窓ガラスを見てみる。見馴れた僕の部屋。僕一人。他は誰も居ない。
    深い安堵の溜息を吐く。怖かったしグロかった。ああいうのは駄目だ。
    幽霊というのは、もっとこうスマートで無くてはならないと切に思う。
    『んー? どうしたお前、何かあったのか?』
    そう言えば、Kがさっきの公衆電話からSに電話を掛けたのだとすれば、
    さっきの頭なし男はSの部屋にも行ったのだろうか。
    「……いや、ないない」
    僕は何故か確信できた。それは無い。僕はSに怒鳴られた言葉を思い出していた。
    やっと帰りついて、あんな言葉を言われたら誰だって消えたくなる。
    『あ、そ?何もなかった?』
    「うん。何も無かったよ。……それよりKさ、今からウチに来ない?目が冴えちゃってさ。何かして遊ぼうよ」
    『あー行く行く!んじゃ、二十分くらいでそっち着くわ』
    「うん。じゃあまたあとでね」
    Kとの電話を切った後、僕はすぐにSに電話を掛けた。Sはもろ不機嫌だった。
    『……ああ?』
    「あ、S?ねえ、さっきのKの電話で目冴えちゃったんじゃない?」
    『……ああ』
    「じゃあさ。今からさ、ウチ来ない?」
    『ああ?何で』
    「Kも来るよ」
    『行く。待ってろ』
    これでよし。
    僕は電話を切ると、ベットの上に倒れこんだ。
    まずKが先に来るだろう。後でSがやって来るとも知らずに。僕はそっとほくそ笑む。
    でも、それは二人を呼んだ理由の一つにすぎない。
    僕は携帯を開けて、着信が来ない様に電源を切った。それから、はっと気づいてカーテンを全部閉める。
    その瞬間、ヤモリが一匹窓を横切った。
    「うひっ!」
    悲鳴を上げて飛び退く。
    ……ああ怖い怖い。
    読みかけていた本もホラーものだったけれど、今日はもう読めない。
    これが理由の二つ目。
    僕一人じゃ、今夜はどうにも眠れそうになかったから。

    原著作者「怖い話投稿:ホラーテラー」「なつのさん」 2010/08/16 16:47

    深夜十一時。僕とSとKの三人はその夜、地元では有名なとある自殺スポットに来ていた。
    僕らの住む町から二時間ほど車を走らせると太平洋に出る。
    そこから海岸沿いの道を少し走ると、
    ちょうどカーブのところでガードレールが途切れていて、崖が海に向かってぐんとせり出している場所がある。
    崖から海面までの高さは、素人目で目測して五十メートルくらい。
    ここが問題のスポットだ。
    もしもあそこから海に飛び込めば、下にある岩礁にかなりの確立で体を打ち付けて、
    すぐに天国に向けてUターンできるだろう。
    そしてここは、実際にたびたびUターンラッシュが起きる場所でもあるらしい。
    『道連れ岬』
    それがこの崖につけられた名前だった。

    僕らは近くのトイレと駐車場のある休憩箇所に車を停め、歩いてその場所に向かった。
    「そういやさ。何でここ『道連れ岬』って言うんかな?」
    僕は崖までのちょっとした上り坂を歩きながら、今日ここに僕とSを連れて来た張本人であるKに訊いてみた。
    「シラネ」
    Kはそう言ってうははと笑う。Sはその隣であくびをかみ殺していた。
    「まあ、でもな。噂だけどよ。ここに来ると、なんか無性に死にたくなるらしいぜ?」
    「どういうこと?」
    「んー、俺が聞いた話の一つにはさ。
     前に、俺たちみたいに三人で、ここに見物しに来た奴らがいたらしい。
     で、そいつらの中で、一人が突然変になって、崖から飛ぼうとしたんだとよ。
     で、それを止めようとしたもう一人も、巻き添え食らって落ちちまった」
    「ふーん」
    「……巻き込まれたやつはいい迷惑だな」
    Sがかみ殺し損ねたあくびと一緒に小さくつぶやく。眠いのだろう。
    ちなみに、ここまで運転してきたのはSだ。
    そういうスポットに行くときはいつも、オカルトマニアのKが提案し、僕が賛同し、Sが足に使われるのだった。
    「いや、実際いい迷惑どころじゃねーんだよな。実際死んだの、その止めに入ったやつ一人らしいし」
    「はい?」と言ったのは僕だ。
    だってそれは理不尽と感じるしかない。飛ぼうとした人じゃなくて、止めに入った人だけ死ぬなんて。
    「詳しいことはそんなしらねえけどさ。多いらしいぜ、同じような事件」
    「ふーん」と僕。
    「……その同じような事件ってのは、どこまで同じような事件なんだ?」
    興味がわいたのか、Sが訊く。
    「うはは、シラネ。あんま詳しく訊かなかったからなあ……お、そこだよ」
    話しているうちに、僕らはカーブのガードレールが途切れている箇所まで来ていた。
    そこから先は、僕らの乗ってきた軽自動車が横に二台ギリギリ停まれる程のスペースしかない。
    近くに外灯があったけれど、電球が切れかけているのか、中途半端な光量が逆に不気味さを演出していた。
    ざん、と下のほうで波が岩を打つ音が聞こえる。
    「誰もいねーな」
    Sは心底つまらなそうだ。
    「ま、他の噂だと、崖の下に何人も人が見えるだとか、手が伸びてくるだとか……」
    と言いながら、Kがガードレールをまたぐ。
    ガードレールの向こう側は安全ロープなども一切張っておらず、確かに『どうぞお飛びください』といった場所ではある。
    「ちょ、おい。K、危ないって。いきなり飛びたくなったらどうするんだよ」
    僕の忠告を無視し、Kは崖のふちに立って下を覗き込む。
    「おー、すげーすげー」
    この野郎め、そのまま落ちてしまえばいいのに。
    「死にたくなったら一人で飛べよ」
    Sはそう言って、崖に背を向ける形でガードレールに腰掛け、車から持ってきたジュースの入ったペットボトルに口をつけた。
    僕はというと、どうしようかと迷った挙句、一応ガードレールを乗り越えて、何かあったときにすぐ動けるよう待機しておく。

    しばらくして、じろじろと海を覗き込んでいたKが立ち上がった。
    「うーん、何もねーなー。なあ、ところでお前らさ、今、死にたくなったりしてるか?」
    どんな質問だよと思いながらも、僕は「別に」と首を横に振る。
    SはKに背を向けたままで、「死ぬほど帰りてえ」と言った。
    Kが自分の右手にしている腕時計で時間を確認する。
    「えーでもよー。ここまで来て何も起こらないまま帰るってのもなー。……なあ、もうちょっと粘ってみようぜ」
    「一人で粘っとけよ」
    「冷たいこと言うなよSー。俺とお前の仲じゃんかー、ほら、暇なら星でも見てろよ」
    「死にたくなれ」
    漫才コンビは今日も冴えている。
    と言うわけで。僕らは二十分という条件付で、もう少しだけここで起きるかもしれない『何か』を待つことになった。

    それから僕ら三人は並んでガードレールに腰掛け、崖側に足を伸ばして座っていた。
    僕はボケーっと空を見上げ、Sは腕を組んで目を瞑り、Kはせわしなく周りを見回している。

    「やべ……、俺ちょっくらトイレ行ってくるわ」
    十分くらいたったとき、Kがそう言って立ち上がり、車を停めた休憩所に向かって歩いていった。
    隣を見ると、Sは先ほどから目を閉じたままピクリとも動かない。
    僕はまた空を見上げた。先ほどKが言っていた、この崖にまつわる話をふと思い出す。
    この崖に来ると無性に死にたくなると言うのは本当だろうか。今のところ自分の精神に変わりはない。
    「『道連れ岬』って言うんだろ……ここ」
    突然隣から声がしたので、Sの声だとはわかっていても僕は驚いて実際腰が浮いた。
    「何?いきなりどうしたん?」
    「いや、ちょっとな」
    近くにある外灯の光が、Sの表情をわずかに照らす。Sはいまだ目を開いてなかった。
    「さっきKが言ってたろ。一人が飛ぼうとして、二人が落ちて、一人が死んで……、なんかしっくりこなくてな。考えてた」
    「で、分かった?」
    「さあ、分からん。
     ただの尾ひれのついた噂話か……。そもそも、全部が超常現象の仕業っつーなら、俺が考えなくとも良いんだがな」
    「うん」
    Sが何に引っかかっているのか分からなかったので、適当に返事をする。
    Sはそれ以降何も言わなくなった。本当に眠ってしまったのかも知れない。

    しばらくたって、誰かの足音に僕は振り返った。Kだ。Kが坂の下からこちらに歩いてきていた。
    大分長いトイレだったような気がする。僕はKが来たら『もうそろそろ帰ろう?』 と提案する気でいた。
    しかし、歩いてくるKの様子に、僕は、おや、と思う。
    Kはふらふらとおぼつかない足取りだった。どことなく様子がおかしい。僕は立ち上がった。
    「おーい、K、どうした?」
    僕の声にもKは反応しない。俯いて、左右に揺れながら歩いてくる。
    「お、おい……」
    Kは僕らのそばまで来ると、黙ってガードレールを跨ぎ、僕とSの横を通り過ぎた。
    表情はうつろで、その目は前しか見ていない。
    三角定規の形をした崖の先端。そこから先は何もない。
    Kは振り向かない。悪ふざけをしているのか。Kの背中。崖の先に続く暗闇。海。
    何かがおかしい。その瞬間、体中から脂汗が吹き出た。
    「おいKっ!」
    僕はKを引き戻そうと手を伸ばした。けれど、Kに近寄ろうとした僕の肩を誰かが強くつかんだ。
    振り返る。Sだった。
    「やめろ」
    Sの声は冷静だった。
    「でもKが!」
    「あれはKじゃない」
    「……え?」
    Sの言葉に、僕は崖の先端に立ちこちらに背を向けている人物を見つめた。
    今は後姿だが、あれはどう見たってKだ。先まで一緒にいたKだ。
    「今は何時だ?」
    Sが僕に向かって言う。その額にも脂汗が浮かんでいた。
    「答えろ。今は何時だ?」
    Sは真剣な表情だった。僕はわけが分からなかったが、自分の腕時計を見て「……十一時、四十分」と言った。
    「だろう。だったら、あれはKじゃない」
    僕はSが何を言っているのか分からず、かといって僕の肩をつかむSの腕を振りほどくこともできず、
    ただ、目の前のKらしき人間を凝視する。
    あれはKじゃない? 
    じゃあ、誰だというのだ?
    時間がどうした?
    あいつがKだと思ったから伸ばした僕の腕。開いていた掌。
    迷いと混乱と疑心によって、僕はいったん腕を下ろした。
    その時、目の前のそいつが振り向いた。首だけで、180度ぐるりと。
    そいつは笑っていた。顔の中で頬だけが歪んだ気持ち悪い笑み。Kの顔で。
    その笑みで僕も分かった。あれはKじゃない。
    そいつは僕とSに気持ち悪い笑みを見せると、そのまま首だけ振り向いたままの姿勢で……飛んだ。
    「あ、」
    僕は思わず口に出していた。
    頬だけで笑いながら、そいつはあっという間に僕らの視界から消えた。
    何かが水面に落ちる音はしなかった。
    「……飛んだ」
    僕はしばらく唖然としていた。口も開きっぱなしだったと思う。
    突っ立ったままの僕の横を抜けて、Sが数十メートル下の海を覗き込んだ。
    「何もいねえな。浮かんでもこない」
    僕は何も返せない。Sはそんな僕の横をまた通り過ぎて。
    「おい、いくぞ。……Kは大丈夫だ」
    そう言ってガードレールを跨ぎ、車を停めた休憩所への下り坂を早足で降り始めた。
    僕もそこでようやく我に帰り、崖の下を覗くかSについていくか迷った挙句、急いでSの後を追った。
    「S、S!警察は?」
    「まだいい」
    Sは休憩箇所まで降りると、車を通り過ぎ、迷うことなく男子トイレに入った。僕も続く。
    トイレに入った瞬間、僕ははっとする。
    洗面所の鏡の前で、Kがうつ伏せで倒れていた。
    急いで駆け寄る。Kはぐうぐう眠っていた。気絶していたと言ってあげた方がKは喜ぶだろうが。
    僕はKがそこにいることがまだ信じられないでいた。
    例えKじゃなくても、ついさっきKの形をしたものが確かに崖から飛んだのだ。
    「おいこらK」
    Sが屈み込み、寝ているKの右側頭部を軽くノックする。三度目でKは目覚めた。
    「いて、何。ん……、ってか、うおっ!?ここどこだ!」
    Kだ。まぎれもなく、これはKだ。僕は確信する。
    急に、どっと安堵の気持ちが押し寄せてきて、僕は上半身だけ起こしたKの背中を一発蹴った。
    「いってっ!え、何?俺か?俺が何かした?」
    何かしたも何も、僕はKに何と説明したら良いものか考えて、結局そのまま言うことにした。
    「Kが、……いや。Kにそっくりなやつが、僕らの目の前で崖から飛んだんだ」
    Kは目をパチパチさせ。
    「はあ?……うそっ!?マジかよ俺死んだの!?やっべ、すっげー見たかったのにその場面!」
    Kだ。こいつはまぎれもなくK過ぎるほどKだ。あきれて笑いが出るほどだった。
    「おい、お前ら。帰るぞ」
    Sが言った。
    「ええ?そんな面白いことあったんだったらまだ居ようぜ。俺だけ見てないの損じゃん!」
    「うるせー。二十分は経った。俺は帰る。俺の車で帰るか、ここに残るかはお前ら次第だ」
    そう言ってSはトイレから出て行こうとした。
    けれど何か思い出したように立ち止まり、「ああ、そうだ。忘れてた」と独り言のように呟くと、
    つかつかと洗面台の前に戻ってきた。
    「ビシッ」
    深夜のトイレ内に異様な音が響いた。
    Sが手にしていたペットボトル。Sはその底を持ち、一番硬い蓋の部分を、まっすぐ洗面所の鏡に叩きつけたのだ。
    蜘蛛の巣状に白い亀裂の入った鏡は、もう誰の顔も正常に写すことはない。
    僕とKは石のように固まっていた。
    Sは平然とした顔で鏡からペットボトルを離すと、僕ら二人に向かってもう一度「ほら、帰るぞ」と言った。
    僕とKは黙って顔を見合わせ、Sの命令に従って、急いでトイレを出て車に乗り込んだ。

    結局警察は呼ばなかった。誰も死んでない。俺らは何も見てない。Sがそう言ったからだ。

    帰り道。後部座席で色々と騒いでいたKが、いつの間にか寝ているのに気づいた後、僕はそっとSに訊いてみた。
    「なあ。Sは、どうしてあれがKじゃないって分かったん?」
    「あれってどれだ」
    「僕らの目の前で飛んだ、Kそっくりな奴」
    「ああ」
    「……顔も、服装も、体格も、絶対あれはKだったと思う。どこで見分けたんかなあ、って思ってさ」
    するとSはハンドルを握っている自分の左手首を指差し、
    「あいつの時計がな、左手にしてあったんだ」と言った。
    「いつもKは右手に時計をつける。今日もそうだった」
    「はあ」
    「だから、おかしいと思って注意して見てみた。そしたら、文字盤が逆さだった。一時二十分。そんだけだ」
    十一時四十分。一時二十分。鏡合わせ。
    「そうか。だから鏡を割ったんだ」
    「……ん?ああ、いや。ありゃただの鬱憤晴らしだ。やなモン見たしな」
    「はああー……」
    Sは鬱憤晴らしなどする様な奴ではないが、まあそれはいいとしよう。

    しかしまあSよ。お前は一体どんな観察力してんだ、と僕は思う。
    普通だったら気づかない。そんなところには目もいかない。絶対に。
    その証拠に、僕はあいつがKじゃないと分からなかった。
    「でも、本当に警察呼ばなくて良かったんかな?」と僕が言うと、Sは首を横に振った。
    「俺らは何も見なかった。Kは死んでない。それでいいだろ」
    確かに、それでいいのかもしれない。Sに言われると、そんな気がしてくるから不思議だ。
    それに、きっと死体は出ない気がする。あくまで僕のカンだけれど。
    「しかしなあ。もしかすると、あのまま手を伸ばしていたら、お前。逆に引っ張り込まれてたかもな」
    何気ない口調でSは恐ろしいことを言う。僕は一気に背筋が凍りついた。
    「道連れ岬とはよく言ったもんだ」
    そう言ってSは大きなあくびをした。
    後ろでKが何か意味不明な寝言を言った。僕はぶるっと一回体を震わした。
    生きててよかった。
    「……そういや、俺今めっちゃ眠いんだけどよ。これ事故って道連れになったらごめんな」とSが言った。
    たぶん冗談だろうが、僕はうまく笑えなかった。
    Sの運転する車は僕らの住む町を目指して、深夜、人気のない道を少しばかり蛇行しながら走るのだった。

    原著作者「怖い話投稿:ホラーテラー」「なつのさん」 2010/07/23 03:42

    小学校の頃、僕の通っていた学校の裏には小さな山があって、みんなからは普通に裏山と呼ばれていた。
    小学校は三階建てだったのだけれど、裏山はその小学校の二倍程度の高さしか無かった。
    学校側から裏山を上って反対側に降りると、細い県道に出る。
    学校の規則で、裏山には休み時間は上っちゃいけなかった。
    それでも僕は、友達と一緒によく裏山に上った。大体昼休みに。
    まばらに木が生えてるだけの何も無い山だったけど、子どもにとっては十分な遊び場だった。それで良く先生に叱られた。
    「ごめんなさい。もう裏山には行きません」って100回は言った気がする。
    今からするのは、そんな裏山の話だ。

    さっきはまばらに生えた木以外は何も無い山だって言ったけど、実はあった。一つ。子供心をくすぐる様なモノが。
    僕と友達数人がみつけたのだ。僕らはそれを『ウサギ穴』と名付けた。
    三階の廊下の窓から見える裏山の斜面に穴はあった。

    勢いを付けて斜面を駆け降りる、と言う遊びをやっていた時のことだ。
    友達の一人が何かに躓いて転がった。だいぶ転がった。
    膝から血が出てたけど、田舎だったから、そんくらい唾付けときゃ直るということで、僕らは別のことに興味をひかれていた。
    友達は穴に躓いたのだった。
    斜面の一部が草ごとえぐれていて、おそらく友達が踏み抜いたのだろう、その部分から穴が露出していた。
    縦穴じゃなくて横穴。今までは草と土に隠れて見えなかったらしい。
    穴は小さくて、人は絶対入れない。
    でもウサギなら入れそうだと言うことで、決まった名前が『ウサギ穴』。
    屈みこんで覗いてみると、中は真っ暗だった。
    まっすぐ伸びている様に見えたけど、いかんせん暗過ぎて良く分からなかった。

    その穴はそれからしばらくの間、好奇心旺盛な子供たちの心をとらえて離さなかった。
    まず、「何がこの中にいるのか」という話になった。
    モグラという意見と、ヘビだという意見と、やっぱりウサギだという意見に分かれた。
    僕はウサギ派だった。山に住むじじいから、ウサギはこんな巣を掘ると聞かされていたから。
    「ウサギの巣なら、出口は一つじゃない。もっとあるはずだ」と僕が言ったことがきっかけで、
    僕らは裏山を、他の穴は無いかと探し始めた。
    その日は、探している内に昼休みが終わってしまい、結局見つけることは出来なかった。

    別の穴が見つかったのは、それから三日くらい後のことだった。
    丁度学校とは反対の県道側の斜面に穴はあった。同じような穴だった。
    見つけたのは僕だった。かくれんぼをしていて偶然見つけたのだ。
    「穴ー。あなー!」と叫ぶと、みんなが集まって来た。
    「ほら見ろやっぱりウサギだった」「いや、へびだ。違うモグラだ」
    そんな不毛な言い争いのあとだった。
    誰が言ったのかは忘れた。僕だったのかもしれない。まあ、とにかく誰かが言った。
    「じゃあさ。この穴によ、ウサギ入れてみん?」
    よし、やってみようぜ。面白いかは二の次だぜ。何てたって僕ら小学生だぜ。でも今は少し後悔している。

    僕の通っていた学校では、ウサギを飼育していた。
    そして学年には一人ずつ(※クラスは無いよ。全校生徒八十人くらいだったから)飼育委員というのがいて、
    昼休みになるとウサギに餌をやったりするのだ。
    そして何と、その時の五年生の飼育委員が、僕だったのだ。

    決行されたのは次の日だった。
    昼休み、僕は『チャーボー』と名札の貼られた檻を開けて、茶色い毛がボーボーの可愛い兎を一匹抱えて、
    『ウサギ穴』へと向かった。
    到着すると、もう友達の一人は穴で待機していて、反対の県道側の穴の方にも数人スタンバっているらしい。
    友達が運動場の倉庫から持ってきた五十メートルの巻き尺の紐を、チャーボーの身体に結んだ。命綱のつもりだ。
    「チャーボー。ほれ、いけ」
    穴の中にチャーボーの頭を突っ込む。チャーボーは嫌がって足をパタパタさせた。無理やり押し込む。
    それほどきつくはなさそうだけど、無理しないと方向転換は出来ないだろうな。
    「はよういけ。帰ってきたら餌やるから」
    棒で尻をつつくと、チャーボーは嫌々そうに穴の奥へと進んで行った。
    途中で途切れているだなんて考えはなかった。二つの穴は、当然つながっているものだと思っていたのだ。
    「よんメートル」
    隣で友達が、チャーボーが進む動きに合わせて巻き尺を引っ張り出しながら、一メートルごとにいちいち報告する。
    「はちメートル」
    当時は、小さな山だったので、学校側の穴から県道側の穴まで五十メートルも無いだろうと思っていた。
    今考えると、もう少し距離はあっただろうけど。

    僕がふと疑問を覚えたのは、十メートルを過ぎてからだった。
    友達が数えるメーター表示の速度がおかしい。
    「じゅうさん、……じゅうよん。じゅう……、ああもう早いよちょっと待って!」
    ものすごい速さで巻き尺を回す取っ手が回転して、しゅごおおお、と音がしていた。僕は友達と顔を見合わせた。
    「うわ」と友達が叫んだ。
    その手から巻き尺が離れて、穴の縁にぶつかった。
    巻き尺は穴より大きかったので、持っていかれることは無かったけど、
    一度二度びくんびくんとのたうってから、巻き尺は力尽きた様にその場に崩れ落ちた。
    呆気にとられるという言葉があるけれど、僕はそれまでの人生でたぶん初めてだった。本当に呆気にとられたのは。
    友達は無言のうちに、再び手にした巻き尺を巻き戻していた。

    そのうち「うがにゃああ!」と猫の様な情けない悲鳴が聞こえた。
    そうして、しばらくもしないうちに県道側の穴でスタンバってた友達数人が走って来て、
    一人は足が絡まってこけて転んで転がっていった。僕の横を。
    もう一人降りてきた奴の服の袖を掴んで僕は訊いた。
    「チャーボーは!?」
    「知らん!放せ!」
    「話せば放す」
    「だあもう!穴がものすごい勢いで骨吹いた!」
    それだけ言うと、そいつは校舎に向かって駆け降りて行った。
    何が何だか分からなかった僕は、とりあえず巻き尺の友達と一緒に県道側の穴まで行ってみた。

    確かにそこには、何らかの動物の骨が穴を起点に放射状に散らばっていた。
    小動物の骨だろうか。何もこびりついていない。白くて綺麗な、百点満点文句なしの骨だった。
    チャーボーのかなと僕は思った。それなら悪いことをしたなあとも思った。

    その日は当然、先生に怒られたけれど、僕はいつもと違って幾分本気で謝った。
    「ごめんなさい。もうしません」
    もちろん、チャーボーに対して。

    後日、僕は山に住んでいるじじいを訪ねて、その話をした。
    もちろん孫へのこづかいが目当てだったのだけれど、じじいなら何か知っているかもと思ったのだ。
    「そりゃ、ヤマノクチやの」とじじいは言った。
    「やまのくち、って何や?」
    「おまんの口と一緒や。山の、口」
    じじいはそう言って、僕の下唇を掴んでびろんと伸ばす。
    口と聞いて、想像力豊かな僕はすぐにピンと来た。
    「じゃあ、もう一つの穴は、ケツなん?」
    「ケツやな。ヤマノシリ」
    僕は気付いた。だとしたら、チャーボーは山に食われたのだ。
    「なあなあ、じじい」
    「なん?」
    「ウサギってよ、美味いん?」
    「うまい。くいたいんか?」
    僕は首を振る。
    それにしても、山だとしても、『いただきます』くらいは言うべきだろうと、その時の僕が思ったのかどうかは定かではない。

    黙っていると、じじいは僕の肩をバシバシと何度も叩いた。
    「まあ、気にせんでええ。おまんは山にお供えもんをしただけや。そのうちええことがあるかもしれん」
    「じじい……」
    「おう、なんぞ?」
    「じゃあこづかいくれ」

    その日はじじいの家の軒先に干してあった干し芋を勝手に取って、齧りながら家まで帰った。
    じじいは結局こづかいをくれなかった。けれど、その内良いことがあると言うじじいの話は、当たってなくもなかった。

    僕は飼育委員をクビになった。理由は、皆で飼っていたウサギをうっかり『逃がしてしまった』からだと言う。
    世話は面倒くさいし、ウサギ小屋は臭いから、僕は普通にラッキーと思った。

    ちなみに『ウサギ穴』は、あの出来事以来、子供たちの間で『ウサギ喰いの穴』にグレードアップした。
    そうして、あの日県道側から走って逃げて転んで転がった奴がえらい怪我を負ったので、
    それから裏山禁止の規制が厳しくなった。

    だから一度だけだ。下校時間になって、僕はそっと県道側の穴に向かった。
    途中で落ちていた手頃な木の枝を拾う。
    穴に着く。
    「くらえ!」
    僕は手にした棒を穴に突っ込んだ。そして逃げた。
    男の子なら誰しもやったことのあるあのワザだ。ささやかな仕返しのつもりだった。
    その後、山に仕返しされたとかそんな体験はない。

    今現在、僕の通っていた小学校は廃校になっている。
    じじいの家に行く際にはあの県道を通るので、その時はついでに穴はあるかと確認したりする。
    少なくともヤマノシリは未だにあって。周りには何の骨か分からない小さな骨が散らばっていたりもする。

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