ほんとうにあった怖い話

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    原著作者「怖い話投稿:ホラーテラー」「匿名さん」 2012/05/28 01:12

    私の胸中とはまるで裏腹に、葬儀はしめやかに進められた。
    えらく長く、それでいてほとんど何を言っているか分からない祝詞などを聞いているうちに、
    次男の言葉に混乱していた私も、次第に落ち着きを取り戻していった。
    一度、冷静になって考えてみる。
    くらげの母親は、彼が生まれた直後に亡くなったと聞いている。
    そうだとすれば、本当に彼が母親を殺したのなら、首も座らない赤ん坊が殺人を犯したことになる。そんなことはありえない。
    けれども、彼が全くの嘘をついたようにも思えなかった。
    だとすれば、おそらく彼女は、出産が原因で亡くなったのではないか。
    昔よりは医療が充実した現代だが、ありえない話ではない。
    もしもそれが原因だとしたら、彼女の死が、引き換えに生まれてきた赤ん坊のせいにされることだってあるだろう。
    私の理性はそう結論付けた。これ以上の答えは、その時の私には考え付かなかった。
    それでも、何か腑に落ちない、もやもやとした塊が腹の中に残った。
    私の中の誰かが、「違うんじゃないか」と言っている。私はその声を無理やり胸の奥の奥へと押し込んだ。
    するとその代わりに、また、あのおちゃらけた次男への怒りが湧き起って、それを鎮めるのにも一苦労がいった。

    葬儀の方はすでに、祝詞から玉串奉奠へと移っていた。
    仏式では焼香にあたる儀で、席順に遺族、親戚、一般という順に榊の枝葉を受け取り霊前に置いていくようだ。
    当時の私は神葬祭の経験自体少なかったので、奉奠のやり方が分からず、目を凝らして前の人の動作を観察した。
    二礼二拍一礼は分かるのだが、その前の榊の置き方だ。
    何やら回転させているように見えたが、距離があるのと、背中で隠れてしまうため、良くわからない。
    私の番が来るまでに、ちゃんと見て覚えておかなければならない。
    そう思い、玉串を納めている人の背中を凝視していると、ふと私の目に別の何かが映った。
    棺の上に、小さな光る何かが浮かんでいる。
    それは蛍の光のような、小さな、淡く青い光の粒だった。しかも、一つではなく複数だった。
    何だろう。焦点を合わそうとしても、いかんせん祭壇まで遠く、それが何であるかわからなかった。
    祭壇には提灯があるが、それは少なくとも提灯の光ではなかった。風に遊ばれる風船のように揺れて、浮き沈んでいる。
    一体、あれはなんだろう。
    ふと気が付くと、ほとんどの人が奉奠を終え、次が自分の番だった。
    まだ完全に動作を覚えたわけではないが、今になって誰かに助けを求めるわけにもいかない。
    仕方なく、ぶっつけ本番で臨むことになった。
    祭壇に近づくにつれて、棺の上にある淡い光がより鮮明になる。
    斎主の前に進み出た時には、それが何であるかはっきりと見て取れた。
    それは小さな、ゴルフボールくらいの大きさの、数匹のくらげだった。
    その表面にちりちりと光の筋を浮かび上がらせ、空中にふわふわと漂っている。
    どうやら、ゆっくりと天井に向かっているらしい。
    そのうち、一匹の新たなくらげが、棺の中から顔を出した。
    このくらげたちは棺の中から現れているのか。
    あまりの光景に、私はしばらくの間、我を忘れていた。
    自分の前に榊が差し出されているのに気づき、慌てて受け取る。
    霊前に進むと、一匹一匹のくらげたちの表情がより深く見て取れた。
    薄暗い部屋の中、それはとても幻想的であり、たっぷり非現実的でもあり、見惚れるには十分な光景だった。
    これは何だろうという疑問さえ、綺麗に消え去っていた。
    ふと、くらげたちの動きが変化したのに気が付いた。
    天井へ向かっていたくらげの群れがその動きを止め、再び棺の中へゆっくりと落下していく。
    そうして、最後のくらげが棺の中へと消えていった次の瞬間、玉串を持った私の手を、誰かの手がふわりと包み込んだ。
    その手は目には見えなかった。しかし確かに、棺のある方向から私の両手を優しく握っていた。
    そうして、私の手を玉串諸共ゆっくりと時計回りに回転させた。葉をこちら側に、玉串の茎が棺に向くように。
    目には見えない。けれども、握られたから分かった。
    その手は、小さく、しわだらけで、ごつごつしていた。そして、私はその手が誰の手かを知っていた。
    『彼女』は奉奠の動作がわからない私に教えてくれたのだ。
    不意に涙がこぼれた。それは感情の動きよりも先に、フライングして出てきたような涙だった。
    玉串を置いてもしばらくの間、その手は私の両手を握ったままだった。
    このままでは涙も拭けない、そう思った時、ふっと手を包んでいた感触が消えた。
    制服の袖で、ぐい、と涙をぬぐい、棺に向かって、二礼、二拍手、一礼する。
    ありがとうございます。
    そう一言呟き、私は霊前を後にした。
    目がにじんでいたせいか、棺の中から浮かび上がるくらげたちは二度と見えなかった。
    席に戻る際に、親族の席に座っていたくらげと目があった。
    涙の跡を見られないようにと目をそらすと、向けた視線の先に次男が居た。
    さすがに真面目な顔をしていたが、どこか面白そうに私を見ていた。
    その横には長男も座っていたのだが、彼は軽く目を瞑り彫像のように動かない。
    三人が三人とも似ていない兄弟だった。

    一般客の後、最後に斎主が自ら玉串を霊前に置き、玉串奉奠の儀は終わった。
    その後、斎主が退出し、喪主であるくらげの父親の短い挨拶があって、葬儀は閉会となり、
    出棺の準備のため、親族以外は別の部屋に待機することになった。
    しばらく待っていると、大広間から、どん、どん、と釘を打つ音がした。
    次いで家の中から棺が運び出され、門の外で待っていた霊柩車に乗せられた。
    外は相変わらず水をたっぷり吸った重たい雪が降っていた。空は灰色。
    遠くの山を白くかすみ、その中を黒い服に身を包んだ人々が動いている。
    まるで、出来の悪いモノクロ映画のような光景だ。
    火葬は近しい親族だけで行うらしく、私のような一般客やその他の人は、彼らが戻るまで家で待つことになった。
    大広間に、茶や菓子が用意されているとのことだったが、私は家には入らず、彼らの帰りを外で待つことにした。
    理由は特にない。強いて言うなら、出所の分からない意地だった。
    外は寒い。何度か中に入るようにと言われたが、首を横に振り続けていると、彼らも何も言わなくなった。
    家に入り、事情を知ってそうな人から、くらげの母の話を聞く。そういう考えも無くはなかった。
    けれども何故か私には、もしも誰かに訊くとすれば、この話はくらげ自身の口から聞くべきだ、という想いがあった。

    雪がひどくなって、私は屋根のある門の下へと避難した。上着も持ってきていなかったため、手も足もひどく悴んだ。
    自分でも何をやっているのだろうと思ったが、それでも家に入る気は起きなかった。
    火葬場で焼かれている祖母の遺体のことを思う。雪風に打たれている私とは真逆の状況だ。
    といっても、敢えて変わってほしいとも思わなかったが。
    ひとしきり馬鹿なことを考えていると、年配の女性が家の中からお菓子と防寒具を持ってきてくれた。
    紋所の付いた赤いちゃんちゃんこ。亡くなった祖母のものだという。袖はなかったが、それはとても暖かかった。

    火葬場から彼らが戻ってきたのは、二時間も経った後だった。
    祖母のちゃんちゃんこを着、門で待っていた私を、親族たちのほとんどは奇怪な目で見やった。
    次男は可笑しそうに笑い、長男と父親は何も言わず、くらげは真顔で「本当に、おばあちゃんかと思った」と言った。
    その後は大広間での食事会だったが、大人たちのつまらない昔話に耳を傾けるつもりはなく。
    私はくらげを誘って抜け出し、二階の彼の部屋へと上がった。
    適当なところに座布団を敷いて座る。二人ともしばらくの間、口を開かずにいた。
    色々な考えや出来事が私の中のあちこちで渦を巻いていて、それらは容易に言葉にならなかった。
    「……今日は、ごめんね」
    先にそう言ったのは、くらげだった。
    彼は私に向かって『ごめん』と言った。しかし、こちらには謝られるような覚えはない。
    怪訝そうに彼を見やると、彼は私とは目を合わさず、「何だか、気分を悪くさせたみたいだから……」と言った。
    なるほど。くらげは彼の兄であるあの男のことを言っているのだ。
    確かに嫌な気分にはなった。けれども、それは決して彼が謝るべきことではない。
    話題を変えようと、私は無理やり口を開く。
    「そう言えばさ……、棺の上に、小さいくらげが浮いてたよな」
    すると、彼が不思議そうに私を見た。
    「……くらげ?」
    彼には見えていなかったらしい。
    私は驚く。私に見えたのだから、当然、それは彼にも見えたのだと思っていた。
    私は元々霊感など持っていない人間だ。それが、くらげと一緒にいるときだけ、僅かだが彼と同じものが見えるようになる。
    今まではずっとそうだった。
    「え、じゃあ、あの手も?」
    くらげは首を横に振った。私は彼に、玉串奉奠の際に体験したことを一通り話した。
    「そう……、おばあちゃんらしいね……」
    そう小さく呟いた彼の口元は、かすかに微笑んでいた。
    窓の外に目を移すと、ぼた雪はいつの間にか雨に変わっていた。
    こんな雨の日、くらげの祖母には、空に向かって登る無数の光るくらげたちが見えたそうだ。
    「なあ、くらげさ」
    くらげの方に顔を向けると、彼は小さく頷き、「うん」と言った。
    「ただの想像だけどさ。もしかして……。あのくらげって、生き物の死体から湧くんじゃないか」
    棺の上を漂い、青白く光るくらげたち。あの時、私は一瞬だけだが、魂という言葉を連想した。
    死体から湧き出る、くらげ。もし、魂というものが存在するのなら、あの光るくらげは、それに近いものなのではないか。
    以前、どこかで聞いたことがある。雨は、そのたった一度で、驚くほど多くの生き物の命を奪うと。
    生を失うのは、大抵は小さな生き物だ。その一つ一つの魂が発光する小さなくらげとなり、空へ向かって昇っていく。
    祖母はその光景を見ていたのではないだろうか。
    そんな与太話を、くらげは黙って聞いてくれていた。
    私がしゃべり終えると、彼は肯定も否定もせず、窓の向こうの雨を見つめながら、「そうかもしれないね」とだけ言った。
    またしばらく沈黙が続いた。
    「おばあさんさ……。死ぬ前に、くらげに何か言った?」
    ふと、気になっていたことを尋ねる。
    死に目にはあえたと聞いていた。人が人に伝え残す最後の言葉。祖母は彼に何が言い残したのだろうか。
    「……『強う気持ちを持っておらなぁいかんよ』」
    くらげは、ゆっくりとその言葉を口にした。
    「そう言った。……自分はもうじき居なくなるから、って」
    私は改めてくらげを見やった。その言葉はもしかしたら、そのまま祖母の人生を表していたのかもしれない。
    くらげに祖母が居たように、彼女には誰か味方がいたのだろうか。
    私は、玉串を納め終えた後もしばらく離してくれなかった、あの小さな手の感触を思い出した。
    あの手は、私に何か伝えようとしていたのではないか。
    祖母が死んで、くらげは一度も泣かなかった。次男は私にそう言った。
    死者が見えるのだから、悲しむ必要もないのだろう。その言葉の裏にはそんな響きがあった。
    私はあの野郎が嫌いだ。
    悲しくないはずがない。私は二人がどれだけ仲が良かったかを知っている。
    いくらそれらが見えたからといって、死んだ者が生きている者と同じようにふるまえるわけがない。
    私はそれをこの家で学んだ。死んだ祖父のために出された料理は、決して減ることは無かった。
    例え骨になるまで焼かれても、例え雪の降る中突っ立っていても、死んだ者は熱さも寒さも感じることは無い。
    いや、例え感じていたとしても、私たちにそれを知るすべはない。
    悲しくないわけがない。
    私は自分の肩に手をやった。柔らかな綿の感触。まだ、祖母の赤いちゃんちゃんこを着たままだった。
    このまま着て帰りたい気持ちもあったが、いったん脱いで、彼の前に差し出した。
    「これ、返す」
    彼はそのちゃんちゃんこをじっと見つめ、それから「……うん」と言って手に取った。
    「……それ着てみろよ。すんげぇあったかいから」
    彼は無言でちゃんちゃんこを羽織った。意外と似合っている。
    「な」と私が言うと、彼はまた「……うん」と呟き、そのまま抱えた両膝に顔をうずめた。
    そうして彼は、まるで眠ってしまったかの様に動かなくなった。
    本当は、彼の母親のことを訊こうかとも思っていた。一歩間違えればそうしていた。
    私は彼を問い詰め、そして彼はきっと正直に答えてくれただろう。
    私は寸前で、これ以上彼を追い詰めずに済んだのかもしれない。
    きっと彼だって、張り詰めた糸のような均衡で保たれていたに違いないのだ。
    訊くべき時。それは決して『今』ではなかった。
    その名を呼ぼうとして私は口をつぐんだ。
    膝に顔をうずめ動かない彼に、それ以上かけてやるべき何かを私は持ってはいなかった。
    あったとしても彼には届かなかっただろう。当時の私たちは、まだほんの子供だった。
    だからせめて、私は彼が顔を上げるまで、そこで待つことにした。

    寝転がると、一階の大広間の話し声が微かに聞こえた。大きな家だから、なかなか声も届かないのだろう。
    耳を澄ますと、すぐ窓の向こうに降る雨音の方がよく聞こえた。
    例え彼が母親を殺していたとしても。たった一つ、これだけは言える。
    彼はいいヤツだ。
    寝転び、窓を見上げたまま、私は目を閉じた。
    暗闇の中では、幾千幾万というくらげが色とりどりに薄く淡く発光しながら、
    どこへ続くかもわからない空へと吸い込まれていった。

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    原著作者「怖い話投稿:ホラーテラー」「匿名さん」 2012/05/28 01:12

    灰色の空から、水気をたっぷり含んだぼた雪が落ちてくる。
    その日、学校は休みだったが、私は朝から制服に身を包み、自転車にまたがっていた。
    自宅のある北地区から街を南北に等分する川を越えて、南側の山の中腹あたりに建つ友人の家へと向かう。
    私が中学一年生だった頃の話だ。
    二月。風は身を切るほど冷たく、吐く息は白く凍る。
    山に沿った斜面を上っていると、見覚えのない車がいくつか路肩に停められているのが目についた。

    友人の家の前に着く。家を囲む塀の周囲にも、車が何台か停められていた。
    門の前では、黒い服に身を包んだ大人が数人立っていた。
    そのうちの四十代くらいの女性が私を見つけ、一瞬怪訝な顔をしてから、軽く頭を下げた。
    自転車を停め、視線を送ってくる人たちにお辞儀を返しながら、門をくぐる。
    砂利の敷き詰められた広い庭と、その向こうの異様に黒い日本家屋。屋根には溶け残った雪が微かに積もっている。
    庭にも数人、黒い服装をした人たちが何事か話をしていた。
    見たことのない人たちばかりで、少しばかりの居心地の悪さを感じる。
    丁度その時、友人が玄関から出てきた。
    私を見やると彼もまた、少しだけ驚いたような顔をした。
    制服ではなく、黒い長袖のシャツを着ている。
    彼は、くらげ。小学校六年生からの付き合いである彼は、『自称、見えるヒト』でもある。
    自宅の風呂にプカプカ浮かぶくらげが見えるから、くらげ。けれども、今日だけはその呼び名は使えない。
    「来てくれたんだ」
    その口調も、表情も、まるでいつもの彼と変わりはなく。
    逆に、私の方が何と言ったらいいのか分からず、口を開くまでにずいぶん時間がかかった。
    「……あのさ、こういうのは慣れてなくて。手ぶらで来たんだけど、……悪かったか」
    「そんなことないよ。大丈夫」
    玄関の脇には、小さな受付用の机と共に、柄杓と水の入った桶が置いてあった。
    彼に連れられ玄関を抜けようとした時、私はふと思い出す。
    この場合は確か、家に入る前には手を洗わないといけないのではなかったか。
    しかし横の彼は何も言わず、私たちはそのまま家に上がった。

    玄関から向かって左の大広間には、数十人分の座布団が敷かれ、すでに大勢の人たちが座っていた。
    部屋の奥には両脇に榊を置く祭壇と木の棺、棺の前には一枚の写真が飾られていた。
    モノクロの写真の中に写っているのは、くらげの祖母だ。
    去年の秋ごろから体調を崩しており、冬の間はほとんど起き上がれないほどになっていたそうだ。
    家族は入院するよう促していたようだが、彼女は家に留まることを望み、そうして数日前、春の訪れを待たずして亡くなった。
    享年八十一歳、死因は老衰。
    遺影の中の彼女は、着物を着ていて、目を細めて笑っている。
    それは見覚えのある笑顔だった。笑うと、目が顔中のしわと同化してしまうのだ。
    加えて、「うふ、うふ」というその独特な笑い声も、最初の頃こそ苦手だったが、度々会う内に慣れてしまい、
    彼女とは何度か世間話で笑い合ったこともある。
    彼女はくらげと同様『見えるヒト』でもあり、その力はくらげ以上だという話だった。
    この家で二人の他に『見える』者はいない。
    「もう少しで始まると思うから、ちょっとここで待ってて」
    そう言って、くらげは私を残し部屋を出て行った。
    私は目立たないよう部屋の後方一番隅の座布団に座り、じっと葬儀が始まるのを待っていた。
    周囲からの視線は、家の門をくぐった当初からずっと感じていた。
    数人からは、直接どこの子かとも聞かれたが、正直に孫の友人だと答えると、
    彼らは表面上は「えらいね」などと言いながらも、
    その視線にはどこか、私の言葉の真偽を探るような、訝しげなものが混じっていた。
    そんな折。一人、茶色に薄く髪を染めた背の高い青年が部屋に入ってきた。十代後半だろうか。
    くらげと同じような黒っぽいシャツを着ているが、どこかだらしない印象を受ける。
    周りの者におざなりな挨拶をした後、彼の視線がこちらに向いた。
    一瞬立ち止まってから、その目に浮かんだのは好奇だった。こちらに近づいてくる。
    「わざわざ、どーも」
    彼の言葉に、私は無言で短く礼を返した。
    彼とは話したことは無いが、初対面ではない。この家で一度か二度、顔を合わせている。
    彼はくらげの兄で、三人兄弟のうちの次男。
    くらげとは四歳か五歳離れていると聞いていた。そして、くらげがその二人の兄からひどく嫌われているとも。
    「えっと、何だろ?君は今日、あいつに呼ばれて来たの?」
    彼が言った。『あいつ』とはもちろんくらげのことだ。嫌な聞き方だと思った。
    私は首を横に振り、「いえ」とだけ答えた。
    「じゃあ、クラスの代表とかで?」
    そんなことがあるわけがない。彼は薄く笑っていて、明らかに私をからかっていた。
    私は彼をまじまじと見やった。
    信じられなかった。すぐそこに彼の祖母が眠る場所で、彼はいとも簡単に軽口を言ってのけたのだ。
    正直、腹が立った。けれども、私は膝に置いた手をぎゅっと握りしめて、頭の天辺へとにじり上ってくる不快な感情を抑えた。
    「おばあさんのご飯を、食べたことがあるから……。この部屋で」
    「あいつが飯食いに来いって?」
    もう答えるのも嫌になって、私は無言で首を横に振った。私のそんな様子を見て、彼は面白そうに薄く笑った。
    「なあ、これ、好奇心から聞くんだけど」と彼が言った。
    「君ってさ、あいつの何なの?」
    私はもう一度、彼を見やる。
    私は、くらげの、何だ。それは考えるまでもなかった。
    「……友人です」
    彼が笑う。
    「友達ならさ、あいつのこと、どこまで知ってんの?
     ……これ親切心から言うんだけどさ、俺、あいつの友達にだけは、ならない方がいいと思うんだよな」
    彼の言いたいことは大体予想ができた。彼はくらげが『自称、見えるヒト』あることを言っているのだ。
    まるで見えず、まるで信じない人からすれば、
    彼の言動は虚言症持ちか、もっと言えば、精神異常者として映っているのだろう。
    兄や父親も同じような考えなのだろうか。
    くらげは自分の見える力のことを『病気だから』と言う。
    私は思う。彼はきっと、こんな環境に居たからこそ、そう思うに至ったのだ。
    唇を噛んだ。けれども、見えない人には何を言っても仕方がないのだ。
    「……自分で病気だと言っていることは、知ってます。……何が見えるかも」
    彼が初めて「へぇ」と驚いたような顔をした。
    「知ってんだ。意外。……いやさ、確かに、あいつだけなんだよな。ばあちゃんが死んで泣かなかったの。
     やっぱその辺が関係あんのかな」
    鉄の味がする。どうやら先ほど強く噛みすぎて、唇に穴が開いたらしい。
    「……で、だからなんなんですか?」
    吐き出すようにそう言うと、周りの人々がちらりと私たちを見やった。
    彼はさすがにやりすぎたと思ったのか、「まあ、まあ」と私をなだめるように胸の前に両手を上げ、
    先ほどよりも小さな声でこういった。
    「いや、俺ってさ、良く勘違いされやすいんだ」
    もし彼がこれ以上何か言ったら、もっと大声を出してやるつもりでいた。
    けれども次の瞬間、彼の口から出てきた言葉は私を黙らせるのに十分なものだった。
    「俺はさ、あいつが、『見える』っていうのは嘘じゃないと思ってるし、
     それに、別にあいつ自身がそれほど嫌いなわけじゃないよ」
    それは相変わらず軽い口調だったが、嘘をついているようには見えなかった。
    「でもさ。今、そこにある棺の中に入ってんのが、ばあさんじゃなくて、あいつだったらいいのになー、とは思ってる」
    私は彼を見やった。言葉が出なかった。
    こんなにも堂々と、『死んでしまえばいいのに』という言葉を聞いたのは初めてだった。
    それでいて、彼はくらげ自身は嫌いではないと言う。
    「矛盾してると思うよな。でも、俺は正常だよ。たぶん、この家の人間の中じゃ一番マトモだ」
    部屋の入り口から、どこか見覚えのある顔の知らない誰かが入ってきた。
    「あー、兄貴入ってきたな。そろそろ始まんのかな」
    振り返って、彼が言う。
    礼服をぴしっと着用した、どうやらあの人がこの家の長男らしい。そういえばどことなく、くらげの父親と似ていた。
    しかし、その時の私には、そんなことに気を取られている余裕はこれっぽっちもなかった。
    「そうだなー……、あいつを一番嫌ってんのは、兄貴か親父だよ。たぶん。
     俺はまだほとほとガキだったから、何がどうしてああなったかなんて、覚えちゃいないしさ」
    正直なところ、一体彼が何を言っているのか、私にはまるで分からなかった。
    目の前の人間が、まるで宇宙人のように思えた。絶対マトモじゃない。そう思った。
    全部顔に出ていたのだろう。彼はそんな私を見て薄く笑った。そして、天井近くの壁の方を指差した。
    そこには遺影が何枚か掛けられてあった。
    白黒の写真の中に一枚だけカラーのものがある。写っているのは、色の白い三十代くらいの女性だ。
    彼が指差してるのは、その女性だった。
    「あれ、うちのかーちゃんなんだけどさ……」
    彼ら兄弟の母親は、くらげを生んですぐに亡くなったのだと聞いたことがある。
    長男に続いて部屋の入り口から、くらげと、くらげの父親が入ってきた。これから葬儀が始まるのだろう。
    その時、傍にいた彼がぐっと近寄ってきて、私の耳元で一言ささやいた。
    その瞬間、私の中の時計が止まった。
    どんな顔で彼を見やったのか、自分でもわからない。
    彼はまた、あのからかうような薄い笑みを浮かべると、踵を返し、祭壇の近くの親族の席へと移っていった。
    ふと気が付くと、部屋の入り口に立ったまま、くらげが私の方を見つめていた。
    その顔は、いつも通り無表情で、これから彼の祖母の葬式をするというのに、何の感情も表に出してはいない。
    彼の言葉がずっと頭の中でこだましていた。
    こだまなら、壁にぶつかり跳ね返るごとにその音は弱くなっていくはずなのに、
    その言葉は私の脳内で反響を重ねるごとに、大きく、強くなっていった。
    私は思わず視線をそらしてしまった。
    はっとしてもう一度くらげの方を見たが、その時にはもう彼は私を見ておらず、自分の席に向かっていた。
    ――かーちゃん殺したの、あいつだから――
    私の耳にこびりついた言葉。
    そんなはずはない、常識的にありえない、と何度否定しても、その言葉は私の中で膨れ上がり、
    軽い吐き気と一緒に胃からせりあがってきた。とっさに口を押える。

    狩衣に烏帽子を被った斎主が部屋に入ってきた。
    部屋の中にいる黒服の人々がその方を向いて礼をする中、
    部屋の隅で私だけが体を丸めたままじっと動かず、つい先ほど傷をつけたばかりの唇を、強く、強く噛んでいた。

    「『黒服の人々 後編』」に続く

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    あのペットボトルの家で老人の遺体が発見されたと知ったのは、それからまた幾日か過ぎた日のことだ。
    道に蛙の入ったペットボトルが散乱し、片付けもしないのかと、文句を言いに来た近所の人間が死体を発見したのだという。
    私はそれを、あの駄菓子屋の目の細いおばさんから聞いた。
    その日は、私は友達数人と普通に海に遊びに来ていた。おばさんは私を覚えていたようだ。
    「自由研究は進んだかえ?」との問いにはもちろん、「バッチリです」と答えておいた。
    「また見に来たのかねぇ。でも、あの家はもう無いよ」とおばさんは言った。
    老人の死因は、熱中症と脱水症状による衰弱死だった。
    何でも、部屋の中で転んだ拍子に足の骨を折ってしまい、
    動くことも出来ず、助けを呼ぶことも出来ず、そのまま死んでいったのだそうだ。
    出かけようとしていたのか、部屋は全て窓を閉めた状態だった。
    そのせいで熱が中に篭り、発見されたとき室内はサウナのようだったという。
    近所の人間が老人の死に気付いたのは、『匂い』がきっかけだった。死臭。人が腐ったときの匂い。
    「……その人は、いつ頃、死んだんですか?」
    尋ねる声が少し震えた。それは演技でもなんでもない。
    老人が死んだのは、私とくらげがあの家を訪問した前日のことだった。私が戸を叩いたとき、家主は家の中にいた。
    部屋から出ることも出来ず、助けも呼べず、じわじわと身を焼く暑さの中、死を待つしかない。
    その状況はまるで、ペットボトルに閉じ込められた蛙と同じだ。
    「戸を開けた瞬間、すごい匂いがぶわっと湧いてきたそうでねぇ。
     立ち会った内の何人かは、そんで体を壊して、今でもうなされて、起き上がれないんよ。
     ……嫌やねぇ、死んでまで人様に迷惑かけて」
    私は思う。
    その発見者が戸を開けたとき湧き出してきたのは、本当に匂いだけだったのか。
    生き物を閉じ込めて殺すことで生ずる呪い。
    老人が最後に想った感情が恨みであったとすれば、扉が開かれた瞬間、その恨みはどこへ行ったのだろうか。

    駄菓子屋を出た後、私は友人たちと一旦分かれ、一人であの家へと向かった。
    歩いていくと少しだけ時間が掛かった。
    日数が経っているからか、事件現場だと示すようなものは何も残っておらず、
    塀の上に置かれていたはずのペットボトルも全て無くなっている。
    門を開き、私は庭へと入った。
    コオロギの水槽はそのままだった。
    もう全部死んでいるだろうと思ったが、驚いたことに、まだ生き永らえている個体が居た。
    餌もないのにどうやって生きているのだろう。
    玄関の前に立ち、家を見上げる。
    なんということはない。ただの古民家だ。嫌な予感も、匂いも、何も無い。
    私は玄関の戸に手をかけ、開こうとした。
    しかし、扉は動かなかった。鍵が掛かっている。
    私はしばらくその場に立ち尽くしていた。
    あの日もこうやって、ちゃんと鍵が掛かっていたのだろうか。
    私が扉を開けていたらどうなっていたのか。
    くらげにはあの時、何かが見えていたのではないか。
    しばらく考えてから、それらがいくら考えても答えの出ない疑問であることに気付く。
    そして私は空を見上げた。
    青々とした空からは、答えも、雨も、何も降っては来なかった。

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    その日、私は朝早くから自転車に跨り、まずは待ち合わせ場所である街の中心に掛かる橋へと向かった。
    私たちが一緒に行動するときはいつも、地蔵橋と呼ばれるこの橋を使う。
    くらげは先に着いていて、私のことを待っていた。
    不思議なのだが、この橋で待ち合わせをしたとして、私は彼を待ったことがない。
    いつも彼は先に待っていて、黙って川の様子を眺めているのだった。
    一度、彼がどれくらい早く来ているのか調べてやろうと思って、
    わざと待ち合わせ時間より四十分も前に橋に出向いたことがある。
    しかし、その時ですら、彼は私より先に着いていた。
    「や。待ったか?」
    自転車に乗ったまま声を掛けると、くらげはゆっくりと首を横に振り、
    「……さっき来たところだよ」
    彼はいつもそう言うのだが、それが果たして本当なのか嘘なのか。真相は闇の中だ。
    「行こうぜ」と言うと、彼も自分の自転車に跨った。
    Oの言った海沿いの集落に行くには、山を一つ越えなければならない。
    見上げると、空には薄い雲が広がっていた。天気予報では今日は一日中曇りとのことだったが、さてどうなるだろう。

    二人で自転車を漕ぎ、山の峠を越える。
    すっきり晴れた日と違って、眼下に見える海もどこか灰色染みていて、
    汗で体にへばりついたシャツや、湿度の高いむしむしした気温も相まって、何だか余計に疲れた気がした。
    太平洋に到着してからも、海沿いの道を少しの間、東へむけて走らなければならない。

    目的の集落に到着したのは昼前だった。
    広い松林の間を縫うように細い道がいくつかあって、ポツリポツリと民家が点在している。
    集落の入り口に一軒の駄菓子屋があったので、情報収集に休憩もかねて立ち寄ることにした。
    店の中には、小柄で糸の様に細い目をした五十台くらいの女性が居た。
    彼女は私たちを気付くと、「あんたら、ここらでは見ん子やね」と言った。
    「隣町から、山を越えてきたんです」
    私が正直に答えると、「あんらまあ」と驚いていた。
    私とくらげはそこでアイスを一つずつ買った。
    料金を払うついでに、「この辺りで、ペットボトルを周りに並べてる家ってありますか?」と訊いてみた。
    すると、おばあさんが糸のような目をこちらに向けた。
    「そんなこと聞いて、どうするん?」
    口調は柔らかいが、私の質問はあまり好ましいものではなかったようだ。
    私はその顔に子供らしい満面の笑みを浮かべて見せる。
    「あ、私たち、夏休みの自由研究で、『海沿いの変わった場所』っていうのを調べてるんですよ。
     いくつか集めて、マップを作成しようと思ってて。
     それで、この辺りに変わった家があるって聞いたものですから」
    隣でくらげが私をじっと見つめていた。何が言いたいのかは分かっている。
    自分でも、良くもこうぽんぽん口からでまかせが出てくるものだと、半ば呆れつつ半ば感心していた。
    「ああ、そうなんね」と言って、おばさんは納得したように何度か頷いた。
    内心ほくそ笑む。この演技で騙せない人間は私の母親くらいだ。
    「確かに変わっちゅうけど……。あんまり見に行かん方がええよ」
    おばさんが言うには、『ペットボトルの家』には老人が一人住んでいるらしい。
    予想は出来ていたが、彼女の口ぶりからしても、あまり快い人物では無いようだ。
    「そのペットボトルの中には、何がおると思う?」
    こちらを脅かすような口調だ。
    私も興味津々な振りをして、「……何でしょう?」と言う。
    「か、え、る。……蛙が、入っちゅうんよ」
    知っている。でも、驚いてみせる。
    「ペットボトルに入れて逃げれんようにして、太陽の光で焼き殺すんよ。……あの人はね、カエルを殺すのが趣味なんよ」
    その老人はそうやって焼き殺した蛙の死骸を、ペットボトルに入れたまま集落の他の家の門の前に置いていくのだという。
    「うちの前にも置かれたことがあってねぇ」
    軽くため息を吐きながら、おばさんは言った。
    「どうして、そんなことするんですか?」
    「とっと昔にね。何か村でごたごたがあったらしいんよ。妹か弟が病気で死んだんやったかな……。詳しくは知らんけんど。
     それをまだ根に持って、嫌がらせしに来るんやと」
    嫌がらせに蛙の死骸を置いていく。まるで子供の発想だなと私は思った。Oみたいな人間がやってそうだ。
    しかし、本当にただの嫌がらせなのだろうか。
    その時家の前に置かれていた蛙の死骸はどうしたのかと訊くと、気持ち悪いからペットボトルごと捨てたとのこと。
    当然の答えだ。
    「その家って、どこにあるんですか?」
    おばさんはあまり答えたくなさそうだったが、
    「遠くから見るだけですよ」という私の言葉に、「うーん。まあ、見るだけやったら……」としぶしぶ教えてくれた。
    大体聞くべき事は聞けたので、私とくらげは彼女に礼を言って、店を出ようとした。
    その際、ふと一つだけ聞き忘れていたことに気付き、私は振り返る。
    「あの、ここの辺りに、『Oさん』っていますか?」
    私の言葉に、おばさんは細い目を何度か瞬かせた。
    「二つ隣の家がOっていうけど……。それがどうかしたん?」
    「その人の家にも、同じペットボトルが置かれたことってありますか」
    「……どうやろねぇ。でも、あると思うよ。この辺りの人は、皆やられてるはずやから」
    お礼を言って、店を出た。

    店の外にあるベンチに二人で座り、そこでちょっと柔らかくなったアイスを食べる。
    私は普通のアイスクリンで、くらげは最中をだった。
    文字通りアイスをぺろりと平らげた私は、隣のくらげに尋ねる。
    「なあ、……呪いって、本当にあんのかな?」
    今回Oに起こった出来事。その原因はやはり『呪い』なのだろうか。
    但しそれは、『カエルの呪い』といった可愛らしいものではなく、
    人間が人間にかけた、誰かが誰かを不幸にするための呪い。
    自業自得とはいえ、Oはそのとばっちりを受けてしまったのではないか。
    わざわざ最中のブロックを手でちぎりながら食べていたくらげは、
    最後のブロックを口に含み、こちらがいらいらするほどゆっくりと飲み込んでから、
    「……あるんじゃないかな」と言った。
    「ほら、昔から、蛙に触るとイボができる、って言うし」
    「そりゃ、迷信だろ」
    「……似たようなものだと思うけど」
    くらげを見やる。その口調は、どこかいつもの彼と違う気がした。
    くらげは無意識だろうが私の視線をかわすように立ち上がり、
    アイスの開き袋を綺麗に四つ折りにして、傍にあったゴミ箱に捨てた。
    「雨が降りそうだね」
    空を見上げ、そう呟く彼は、いつもの彼だ。
    私も立ち上がる。
    「……んじゃ、さっさと行きますか」
    私の言葉に、彼は小さく頷いた。

    二件隣の『O』と表札の出ている家を通り過ぎ、いくつか松林を潜り抜け、セミの鳴き声に背中を押されながら、
    駄菓子屋のおばさんに聞いた道を進む。
    Oが言った通り、集落の外れ。目の前に小さな墓地を臨む、古ぼけた平屋の民家。
    そこが目的の家だということは一目で分かった。
    大して高くない塀の上に、ペットボトルがずらりと並べて置かれてある。
    Oが言った百個は言い過ぎにしても、数十個は確かにありそうだった。
    陽に焼かれ黒く変色した蛙の死骸が入ったペットボトル。いくつかは道に落ちてしまっている。
    見たところ、生きている蛙はいなかった。

    セミの声に混じって、遠くで浜辺に打ち寄せる波の音が聞こえた。辺りは静かで人の気配は無い。
    私とくらげは自転車を降りて、塀の傍に近寄った。
    近くで見ると、ペットボトルの表面には、それぞれ小さく文字が書かれてあることが分かる。どれも人の苗字だ。
    駄菓子屋で聞いた話を思い出す。蛙の死骸が入ったペットボトルを家の前に置いていく老人。
    それがもし、単なる嫌がらせ目的ではなかったとしたら。
    もう随分と学校に来ていないOは、自分の部屋から出てこず、おかしくなってしまったのだと噂されている。
    呪い。
    塀に沿って歩く。庭へと繋がる門は、無用心にも少しだけ開いていた。
    いくらか躊躇った後、私は門の中に足を踏み入れた。
    「見るだけじゃなかったの?」
    後ろからくらげの声。
    「……庭を見るだけだ」
    手入れをしていないのか、庭のいたるところで雑草が背を伸ばしている。
    家の窓は全て閉められ、カーテンが引かれているため中の様子は伺えない。
    庭の隅にはこれまた今にも壊れそうな納屋があり、鍬が一本立てかけてあった。
    納屋とは逆方向の隅の方で私は何かを見つけた。
    それは水槽だった。蓋がしてあり、中で小さな何かが蠢いている。
    コオロギだ。水槽の中には、底を埋め尽くすほどのコオロギが居た。
    その大半は動かず、死んでいるようにも見えたが、中には生きて動いているものも居る。
    何にせよ、虫嫌いが見たら卒倒しそうな光景だ。
    果たしてこれは、蛙の餌だろうか。
    私は想像する。
    餌がここにあるということは、このペットボトルの中の干からびた蛙たちは、元々ここで飼われていたのかも知れない。
    だとすれば、飲み口と蛙の大きさが合わない疑問も解ける。
    卵か、もしくはまだ幼体の蛙をペットボトルの中に入れ、大きくなるまで飼育する。
    そうしてある程度大きくなったところで、陽の光を浴びさせ焼き殺す。透明な壁に阻まれ蛙は逃げることもできない。
    おそらく、このペットボトルに書かれた苗字は集落の人間のものだろう。
    Oが学校に持ってきたペットボトルには、Oの苗字が書かれていた。だからこそ彼も特別興味を示して拾ってきた。
    そして、彼は蛙を殺した上に、その蓋を開けてしまった。

    振り返ると、すぐ後ろにくらげが居た。全く気付いていなかったので、ほんの少しどきりとした。
    「……脅かすなよ」
    私の言葉に、くらげは何度か目を瞬かせて、「ごめん」と言った。
    私は辺りを見回す。この庭には他に見るべきものは無いようだ。
    入ってきた門を見やる。門にはインターホンのようなものはついていなかった。
    次いで、私は家の玄関に視線を向けた。
    「どうするつもり?」
    くらげが言った。
    私は答えの代わりに、にっ、と笑ってみせる。
    結果的に見るだけじゃなくなってしまったが、気になるのだから仕方が無い。
    「中に居るかな」
    辺りに人の気配は無いが、もしかしたら中で寝ているのかもしれない。
    玄関の前に立つ。門と同様、チャイムのようなものは無い。
    手のひらで扉を二度軽く叩く。
    もし老人が家に居るなら、少しだけでも話を聞きたいと思っていた。
    あの蛙の入ったペットボトルは、本当に呪具の類なのか。
    尤も、素直に話してくれるとも思っていなかったが、帰る前に本人の顔くらいは拝んでおきたかった。
    返事は無い。やはり出かけているのだろうか。
    「すみませーん」
    中に向けて声をかける。やはり返事は無い。
    もう一度声を上げようとしたとき、私はふと、何か妙な匂いを嗅いだ気がした。
    据えた匂い。家が古いからなのだろうか、微かに漂ってくる。
    特に顔をしかめるほどではなかったが、私がその匂いを嗅いで真っ先に感じたのは、何ともいえない嫌悪感だった。
    蛙の死骸を見たときよりも、無数のコオロギが詰められた水槽を見たときよりも、はるかに強い嫌悪感。
    この扉を開けてはいけない。
    警告が頭の隅をよぎる。
    けれども私は、殆ど無意識に玄関の取っ手に手を伸ばしていた。私を動かしていたのは好奇心だ。
    私はまるで傍観者のように、自分の腕が戸をあけようとするのを眺めていた。
    私の腕を誰かが掴んだ。
    その瞬間、短い夢から覚めたかのように意識が鮮明になった。
    振り向くと、そこにはくらげが居た。
    彼は私をじっと見やると、ゆっくりと首を横に振った。
    そのまま腕を引っ張り、玄関から引き離そうとする。
    「おい……」
    思わず声を上げる。
    くらげは立ち止まり、私の方を振り返った。
    そして、腕を掴んでいる手とは逆の手を持ち上げると、その手のひらを上にしてこう言った。
    「雨が降ってきたよ」
    ぽつり、と体のどこかに水滴があたった。雨だ。灰色の空から小粒の雨が降ってきている。
    「……帰ろう」
    くらげが言った。
    彼は相変わらずの無表情だったが、腕を掴むその力は意外なほど強かった。
    私は一度、後ろを振り返る。古ぼけた家は相変わらずそこにある。
    ただし、雨が降っているからか、それとも別の理由か、
    私の目にはその家が先程よりも明らかに、古く、黒ずんで、歪んでいるように見えた。
    私は目を閉じ、大きく息を吸って、吐いた。
    あの戸には鍵が掛かっていた。そう思うことにした。
    「……帰るか」
    くらげが私の腕を離す。その様子は、どこかほっとしているようにも見えた。
    二人で門を出る。
    自転車に跨ろうとすると、何者かの視線を感じた。辺りを見回すも、誰も居ない。
    そこにはただ、透明な檻に閉じ込められた蛙の死骸が、無表情に私たちを見つめているだけだった。
    「帰ろう」
    立ち止まっている私に向かって、くらげがもう一度言った。
    私は黙って頷き、ペダルに乗せた足に力を込めた。

    私たちの街へと帰る間、小雨は強くもならず弱くもならず、ずっとぱらぱらと降り続けていた。
    そしてまた、そんな雨を喜ぶかのような「……っく、……っく」という微かな蛙の鳴き声が、
    自転車をこぐ私たちの後ろを、どこまでも、どこまでもついて来ていた。

    「『蛙毒 後日談』」に続く

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    原著作者「怖い話投稿:ホラーテラー」「匿名さん」 2012/04/29 19:40

    私が中学生だった頃の話だ。

    ある夏の日のこと。その日私が学校に行くと、教室の隅に人だかりが出来ていた。
    一部の男子たちを中心に何か騒いでいるようだ。
    「何してんの?」
    一番近くにいた奴を捕まえて尋ねると、彼は心底気持ち悪そうな顔を私に向けて「蛙だよ」と言った。
    「あいつ、ペットボトルに蛙つめて持ってきてるんだ」
    その口調からして、彼は蛙が苦手なのだろう。「うえ……」と呟き離れていった。
    私は彼と入れ替わりに、人だかりに身体をねじ込んだ。
    騒ぎの中心に居たのは、あまり評判のよくない男子生徒だった。仮にOとしておこう。
    Oが持っているのは、1.5リットルのペットボトルだった。
    ラベルは剥がされていて、中には一匹の茶色い蛙が窮屈そうに押し込められていた。
    「キャ」と短い悲鳴が上がる。興味本位で見にきたらしい女性陣からだ。
    彼は蛙を周囲に見せびらかして、その反応を楽しんでいるようだった。
    私の姿を見つけると、「ほれっ」とペットボトルを目と鼻の先まで近づけてきた。
    蛙が手足をばたつかせ、容器の側面にへばりつく。
    白いお腹には、黒い斑点がまだら模様に浮かんでいる。その背にはぶつぶつとイボもある。
    大きさは六から七センチほど。若いヒキガエルだ。
    Oは、臆さず動じず蛙を凝視する私にいささか拍子抜けしたようだった。
    幼い頃から哺乳類も爬虫類も虫も魚も散々触れてきた私にとって、ヒキガエルは気持ち悪いどころか逆に可愛いくらいだ。
    ふと、私はそのペットボトルの表面に、小さく文字が書かれていることに気がついた。
    マジックで書かれたのだろうか。汚い文字だが辛うじて読める。Oの苗字のようだ。まさか、Oが書いたのだろうか。
    そしてもう一つ。彼がどうやってペットボトルの中に蛙を入れたのか、という疑問もあった。
    飲み口の穴は蛙の体より明らかに小さい。
    表面にはいくつか空気穴らしき穴が開けられていたが、
    それも五ミリほどの直径で、蛙が通り抜けられる大きさではなかった。
    一体どうやって入れたのかとOに尋ねると、「俺だって知らねぇよ」と予想外の答えが返ってきた。

    話を聞けば、こういうことだ。
    私たちの街から山を一つ越えれば太平洋に出る。
    その週の休日、Oは友達数人と海に遊びに来ていた。
    海沿いの集落にOの親戚の家があり、友人共に泊りがけで遊んでいたそうだが、
    二日目、彼らはその集落の外れに、一軒の奇妙な家があるのを見つけた。
    廃屋かというくらいボロボロの小さな家だったが、
    家の周囲を囲む塀に上には、大小様々な大きさのペットボトルが並べて置かれていた。
    「百個くらいあったんじゃねーか?」とOは言った。
    Oは最初、猫避けか何かかと思ったそうだが、違った。
    その中には、一匹ずつ蛙が閉じ込められていた。大きさはバラバラで、ヒキガエルだけでなく、青ガエルも居たらしい。
    透明なペットボトルの中に閉じ込められた蛙は、
    夏の強い日差しを浴び殆ど死にかけているか、もしくは既に死んで干からびていた。
    Oが見つけたヒキガエルは、中で暴れたためか塀の上から落ちて日陰に転がり、運よく日差しを免れていたのだそうだ。
    「そんなもん持ってくんなよ~」
    他の男子が冗談交じりにOを叩く。
    するとOは、「ウケルと思ったんだよ」と言って、ニヤニヤ笑った。
    「で、どーすんの、それ。あんたが飼うの?」
    クラスで二番目くらいに気の強い女の子が尋ねた。そろそろ朝のHRが始まる時間だ。
    「飼うわけねーだろ」とOは言う。
    「じゃあ、逃がすの?」
    彼女の言葉に、Oはまたニヤニヤと笑った。
    「ちょっと、そこどけ」
    Oは周りの人間を少しだけ後ろに下がらせた。
    そして、ペットボトルの蓋の部分を両手で持ち、まるで打席に立ったバッターのように振りかぶった。
    中の蛙は、いきなり天地を逆さにされ、なすすべも無く飲み口の部分まで転がる。
    「ぱしゃ」とも、「ぺちゃ」とも聞こえた。
    嫌な予感を感じる暇も無かった。
    Oが蛙の入ったペットボトルをフルスイングしたのだ。
    遠心力でペットボトルの底の部分に叩きつけられた蛙は、その大きな口から赤い塊を吐き出し、潰れて、死んだ。
    悲鳴と短いうめき声が同時に上がった。
    見ると、私の隣で、クラスで二番目に気の強い女の子が尻餅をついていた。Oはそれを見てケラケラ笑っている。
    挙句の果てには、ペットボトルの蓋を開けて中の匂いを嗅ぎ、「うわ、くっせぇ」などと言って騒いでいた。
    「どうせ干からびて死んでたんだしな」
    Oの言葉だ。
    だからといってここで殺す必要は何処にも無い。しかし、そんなことをOに言っても無駄だということは分かっていた。
    私は、内蔵の飛び出た蛙の死体に対してではなく、O自身に対して気持ち悪さを覚えながら、
    ただ軽蔑の視線を送るだけだった。
    その後すぐにチャイムが鳴り、
    蛙の死体が入ったペットボトルは、証拠隠滅のためOによって廊下側の窓から学校裏の林に向かって放り捨てられた。
    とはいえ、Oのこのような問題行動は、私たちのクラスにとってありふれたものだったので、
    HRでも問題には上がらなかった。

    問題は次の日からだった。
    Oが学校に来なくなった。
    最初は誰もが、ただの風邪か、もしくはサボりだろうと思って何も気にしていなかった。
    ところがそれが三日四日と続き、ようやくクラス内にも『どうしたのだろう』という雰囲気が生まれていた。
    Oの親は当初、単なる体調不良だと学校に伝えていた。
    しかし、一週間ほど過ぎたところで、隠しきれないと思ったのか、学校側にも真実を伝えた。
    両親が言うには、どうやらOは自分の部屋から出てこなくなったらしい。
    自分の部屋に鍵をかけ引きこもり、母親が食事を運んでくる時だけ、僅かにドアを開けるだけだという。
    理由は分からない。
    担任の先生や、仲の良い友人が家を訪ねたそうだが、Oはドアを開けず、「開けるな」「見るな」と叫び追い返した。
    突然引きこもりだしたOに、両親も困惑していたそうだ。
    幾日かかけて、母親はドア越しに、ようやくその理由を聞き出した。
    「……体中に、イボが出来てる」とOは語った。
    顔にも手にも足にも。水泡のようなイボが皮膚をまんべんなく埋め尽くしているのだと。
    しかし、それを聞いて母親は不審に思った。
    彼女は食事を運ぶ際に、僅かな隙間からだが彼を見ている。少なくともその手には、イボのようなものは見当たらなかった。
    ある時、食事を運ぶ際に、母親は意を決して扉を開いた。
    Oはものすごい形相で何事か叫びながら、力ずくで母親を追い出した。
    けれども、やはり彼の体にはイボなど無かった。
    ただ、おかしなところはもう一つあった。
    引きこもってからのOは、喋るときによく声を詰まらせるようになった。
    会話の節々に「……っく……っく」と、喉の奥から空気を搾り出したような音が引っかかる。
    Oの友人のうちの誰かは、「蛙の鳴き声のようだった」と言った。
    引きこもり始めて十日が過ぎた。
    その頃には、Oはもはや言っていることすらおかしくなっていた。
    食事もとらなくなり、
    自分で鍵を閉めているにもかかわらず、「出られない」「ドアが開かない」「透明な壁がある」などと言い出した。
    さらに、「熱い」「かゆい」と訴えるようにもなった。
    さすがに手の施しようが無くなり、父親が無理やり鍵を壊し、Oを引きずりだして病院に運んだ。
    その体にイボは見当たらなかったが、代わりに体中をかきむしったらしい傷跡で埋め尽くされていたそうだ。
    入院中に何があったのかは知らない。
    精神科に入院していたOが、退院し、学校に戻ってきたのは、新たな年も明けた約半年後のことだった。
    戻ってきたといっても、以前の彼とはまるで違う。
    口数も少なく、良くも悪くも騒ぎ好きだった性格は影をひそめ、
    いつも何かにおびえている様な、陰険な奴に変わってしまっていた。
    しかも、話す際には必ず、「……っく……っく」と声を詰まらすのだった。

    時間を夏に戻す。
    彼が家に引きこもっている間、クラスは『蛙の呪い』の噂でもちきりだった。
    蛙の幽霊がOに取り憑いただの、爬虫類の呪いは比較的強力だの。
    中には、イボガエルに触れるとイボが移る、といった古くからの迷信も含まれていた。
    いくらなんでもOがかわいそうだ、という意見もあった。
    確かに、自業自得だとは思う。ただしそれを言うなら、私だってこれまでの人生、蛙を殺したことくらいある。
    こういう言い方は、人間至上主義と呼ばれるのかもしれないが、
    たった一匹の蛙を殺しただけで、果たしてあれだけの症状が出るものなのだろうか。
    同情はしていなかったが、不思議ではあった。それに、他にもいくつか気になることがある。
    飲み口より大きな蛙をペットボトルの中に入れる方法。ボトルの表面に書かれていたOの苗字。
    そうして一番は、そのペットボトルが何本も並んでいたという、海沿いの家についてだ。
    当時、私はオカルトというものに目覚め始めていた。そうでなくとも、不思議や謎に一番関心のある年頃だ。
    それに、一度気になると動かずにはいられない。自分で言うのもなんだが、私はそういう困った性格の持ち主だった。
    そうして我慢しきれなくなった私はその夏、Oが言っていた海沿いの家に向かうことに決めた。
    但し、単独ではさすがに心細いので、友人を一人誘ってだ。
    その友人は『自称、見えるヒト』であり、私がオカルトにはまるきっかけとなった人物と言っていい。
    「おい、次の休みにさ。Oが言ってたカエルの家に行ってみようぜ」
    学校にて、友人に向かってそう切り出すと、彼は無表情の中にもひどく面倒くさそうな顔をして、
    「……呪われても知らないよ」と言った。
    彼はくらげ。もちろん、あだ名だ。

     

    「『蛙毒 下』」に続く

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